fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

「モチベートがかからない」とか「やる気がでない」という質問をよく受けます。私は、人との出会いや映画、音楽、本などに救われてきました。なかでも、人のことばは、大きな意味をもちました。これからは、そういうことを思い返しながら、生きていくのに基礎となった一般教養や歴史、データなどのピースを散りばめていきます。ご興味があれば、そこからググってください。あなたがこの社会と結びつき、生きていくエネルギーとなるのに、少しでもお役立ちできたらうれしいです。[2021/08]

焼きもの

陶芸(とうげい、英: Pottery)は、粘土を成形して高温で焼成すること。焼きもの。

陶磁器(pottery and porcelain)、セラミックの一種、土を練り固め焼いたもの。やきもの。

土器:素焼きのやきもの、700~900℃。

 

a)炻器(焼締):せっき( Stoneware透光性・吸水性はない)。ウェッジウッドの「ジャスパーウェア」、ブラックバサルト、ロッソアンティコなどの「ストーンウェア」

日本では、古墳時代朝鮮半島からもたらされた窖窯(あながま)を用いて焼成する須恵器が起源。備前常滑信楽などが有名。

「焼き締め」ともいい、釉薬はかけないが焼成において自然釉がかかるものもある。牡丹餅などの模様が現れることがあり、原料に珪酸、鉄を含むため、赤褐色か黒褐色。

b)陶器(土もの):カオリナイトカオリン)やモンモリロナイトを多く含んだ粘土が原料。窯で1100~1300℃。釉薬を用いる。透光性はないが、吸水性がある。粗陶器と精陶器に分けられる。

日本では、古代に愛知県の猿投窯で国内初の人工施釉陶器(灰釉陶器)。瀬戸、伊賀、大谷、有田、出石(いずし)、砥部など。

ヨーロッパではマヨリカとそれからのファイアンス陶器、ウェッジウッドのクリームウェア、クイーンズウェア等硬質陶器、ハフナー陶器など。

c)磁器:半透光性で、吸水性が殆どない。最も硬く、軽く弾くと金属音。粘土質物や石英、長石→陶土(陶石)が原料、1300℃程度。軟質磁器と硬質磁器。

日本では、肥前磁器(伊万里焼)や九谷焼。陶磁器共通に (産地名)+ware、磁器自体を指す場合は、 porcelain という。単に chinaとも呼ばれる。

 

成型法:手びねり、轆轤、粉体成形、射出成形、ジガリングとジョリイング、ローラーヘッドマシン、圧力鋳込み、ラム鋳込み、スリップ鋳込み

装飾:胎土の表面に刻むなどして文様を入れる、釉下彩(下絵付)には単色の染付など釉中彩(イングレーズ)、多色の釉上彩(上絵付)、琺瑯

rf.色絵:釉(うわぐすり)をかけて本焼した器に5彩などで上絵付をする。(=赤絵)

鉄絵:ベンガラなど鉄分の多い絵具で茶褐色や黒(絵唐津、青織部)。

窯変(ようへん)、貫入(かんにゅう)

練込み アガートウェア(瑪瑙焼き) バンディング(banding) またはライニング (lining) 艶出し 化粧掛け(エンゴーベ) リトグラフ(デカルコアニー) 金彩。銀彩。

粉引(こひき)、刷毛目(はけめ)、象嵌(ぞうがん)、かき落とし、練込、イッチン描き

 

施釉「釉薬」:釉は焼きもののガラス質のコーティング 塩釉、灰釉(瀬戸、笠間)、鉄釉(益子、美濃)、織部釉(美濃)、辰砂釉(京、有田)、ルリ釉(有田)

焼成:陶器は通常1000-1200℃、炻器は1100-1300℃、磁器は1200-1400℃で焼成

 

 

[歴史]現存する最古の焼きものは、チェコのドルニ・ヴェストニッツェなどで発見されたグラヴェット文化の人形。ドルニ・ヴェストニッツェのヴィーナスは紀元前29000-25000年のもの。最古の焼きものの器は、中国南部の玉蟾岩遺跡から発掘、1800年前。

6世紀に中国で白磁、7世紀に唐三彩。

イスラームの陶芸では、ラスター彩やミーナーイー手など。13世紀にはスペインへと流入したムスリムの陶工たちによりラスター彩陶器が、それがイスパノ・モレスク陶器、さらに、イタリア・ルネサンスを代表する銀釉陶器マヨリカ焼きへと。

大航海時代、宮殿の「磁器の間」などに飾られるデルフト、マイセン、セーヴルなどの名窯。

機能美のウィリアム・モリスらのアーツ・アンド・クラフツ運動を、陶芸(スタジオ・ポッタリー)

 

縄文時代縄文土器):青森県大平山元遺跡、16,500年前のもの。

弥生時代弥生土器):弥生土器(紀元前2世紀~紀元後3世紀)、土師器(はじき)

古墳・明日香時代(須恵器):灰黒色で堅く、盃、杯、碗、壷、古墳中期から平安時代

奈良時代(奈良三彩)施釉陶器は7世紀の後半。緑釉の陶器に次いで八世紀に三色の釉をかけた奈良三彩。

平安時代(平安のやきもの):尾張東南部(現愛知)の猿投窯(さなげよう)で生産されていた須恵器に引き続き、灰釉陶器へ。

平安前期(9世紀)の灰釉陶器は、主に尾張黒笹(くろざさ)地区が中心。

平安中期10世紀後半、猿投窯では、灰釉陶器の生産体制を確立、焼成方法も還元炎から酸化炎へと転換され、白い焼上がりを得る。

平安時代末12世紀頃、猿投窯では山茶碗が中心。山茶碗は、無釉の浅い碗型の鉢や皿を主として、大量生産が可能な日用雑器となる。

鎌倉・室町時代:瀬戸では中国の製陶法を参考、祭器、仏器、日用品などの施釉陶器が作られる。

現在六古窯と呼ばれる愛知県の常滑窯・瀬戸窯、福井県の越前窯、滋賀県信楽窯、兵庫県丹波窯、岡山県備前窯、各地で製陶が盛んになる。

安土・桃山時代千利休が茶陶、志野や唐津で絵付。江戸時代、朝鮮の陶工による磁器の伊万里焼。瀬戸や美濃地方では、志野・黄瀬戸・瀬戸黒・織部という施釉した茶碗・水差・香合など優れた茶陶が製作される。京都では楽焼。

桃山末期には、高取焼、上野焼薩摩焼唐津焼萩焼など高麗風のやきもの。

江戸時代:有田(佐賀県)の泉山で、陶石が発見、磁器が初めて作られる。1640年代、有田の酒井田柿右衛門が、にごし手(柿右衛門様式にみられる乳白色の素地)に赤絵技法を完成させ、色絵磁器が生産される。鍋島藩は極めて精巧な色鍋島(染錦手一染付と錦付の合成)を完成。1659年になると、ヨーロッパへ色絵磁器が大量に伊万里港から輸出される (1659~)。そのため有田焼を伊万里焼とも言う。

18世紀になると有田地方に限られていた磁器の製造技術が京都、九谷、砥部、瀬戸等で、磁器が盛んに製造。明治時代以降:明治初期にドイツ人ゴットフリート・ワグネルにより石炭窯の焼成、着彩技術等の新技術が導入。近代では、工業的には石膏型、機械ろくろ成形、連続窯(トンネルキルン)など多くの陶磁器製造が近代化。

 

 

[世界の陶磁器]唐三彩(中国)。景徳鎮(中国)~吹墨、印判を開発。マジョリカ焼(イタリア)、デルフト焼(オランダ)、ラスター焼(イスラーム圏、スペイン) 、マイセン焼(ドイツ)、セーヴル焼(フランス)、リモージュ焼(フランス)、かいらぎ (日本、韓国)

[日本の陶磁器]畿内より東では瀬戸物(せともの)、中国、四国以西では唐津物(からつもの)。 岐阜県土岐市が生産量日本一。

茨城県 ‐ 笠間焼[糠白釉、柿釉、黒釉、陶器]

栃木県 ‐ 益子焼

石川県 ‐ 九谷焼[磁器、五彩手、青手]、大樋焼珠洲

福井県越前焼(六古窯)

岐阜県美濃焼[黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部

静岡県 ‐ 志戸呂焼(遠州七窯)

愛知県 ‐ 瀬戸焼[釉、祭器と茶器]、常滑焼(六古窯)[日用品急須、鉄分]

三重県伊賀焼

滋賀県信楽焼(六古窯、タヌキ)、膳所焼(遠州七窯)

京都府 ‐ 京焼(総称)、清水焼、御室焼、楽焼、朝日焼(遠州七窯)

兵庫県丹波立杭焼(六古窯)

奈良県 ‐ 赤膚焼(遠州七窯)

岡山県備前焼(六古窯)[陶土、窯変]

山口県萩焼[大道士、貫入]

徳島県大谷焼

愛媛県砥部焼

福岡県 ‐ 上野焼遠州七窯)、高取焼(遠州七窯)

佐賀県唐津焼(朝鮮唐津、絵唐津など)、有田焼(初期伊万里柿右衛門様式、鍋島)

大分県小鹿田焼(おんたやき)[打ち刷け目、櫛描き、飛びかんな]

 

九谷焼大聖寺藩領の九谷村(現在の石川県加賀市)で陶石を発見、藩士の後藤才次郎を有田へ技能の習得のため派遣、明暦初期(1655年頃)、藩の殖産政策。

「古九谷」は、青、緑、黄などの濃色を多用した華麗な色使いと大胆で斬新な図柄が特色、様式から祥瑞手(しょんずいで)、五彩手、青手など。祥瑞手:赤の輪郭線を用い、赤、黄、緑などの明るい色調で文様。五彩手:黒の輪郭線を用い、青、黄、緑、紫などの濃色で文様。青手:青、黄、緑、紫などの濃彩で余白なく塗りつぶした様式。「古九谷は有田の初期色絵作品である」

「再興九谷」1807年(文化4年)に加賀藩が京都から青木木米を招き金沢の春日山(現在の金沢市山の上町)に春日山窯を開窯。加賀藩では、1819年に磁器を、翌年に陶器を、それぞれ移入禁止。

春日山窯は京風、若杉窯は有田風、吉田屋窯は古九谷風を得意とした。

九谷庄三(くたにしょうざ、1816年―1883年は、能登呉須と呼ばれる顔料を発見。彩色金欄手を確立し、庄三風と呼ばれる画風は後に西洋に輸出される九谷焼の大半に取り入れられる。

「新九谷」九谷焼は主要な輸出品、1873年のウィーン万国博覧会などの博覧会に出品。1872年頃から型押しの技術、1892年頃から、獅子を始めとする置物の製作、大正時代になると型に石膏を使用、量産化。

1872年、金沢区方開拓所製陶部は、砂子吉平、初代諏訪蘇山等の参加で成果、1876年には、石川県勧業場と名を改めた。1887年、金沢工業学校(現在の石川県立工業高等学校)が開校。

 

茶の湯とやきもの<一樂、二萩、三唐津

室町中期、技芸としての「茶の湯」が成立。天目茶碗や青磁などの唐物、唐物をまねて焼いた瀬戸焼など。村田珠光、武野紹鷗に続き、千利休が「わび茶」を完成。高麗物や日本の焼締が評価される。利休が瓦職人、樂長次郎に焼かせた茶碗が新しい「和物」の美を示す。さらに、古田織部の「へうげもの」、小堀遠州の「きれいさび」へと。

茶器は、やきもの:風炉 水指 茶入 茶碗 建水

 

○やきものの名前の見方 

例:「染付彩色小花文輪花5寸皿」

染付彩色(染付して本焼したのち上絵付で彩色)小花文(文様の種類)

輪花(窪みを付けたお皿)5寸(大きさ。15センチ)皿(器の種類。「角皿」「向付」など)

 

参考文献:Wikipedia陶芸、陶磁器、九谷焼/日本のやきもの(日本セラミック協会)/「やきもの入門」松井信義(幻冬舎