fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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「稀勢の里の引退のことば」

 稀勢の里に興味をもったのは、私の親しい知人の描いた絵のお相撲さんの顔が似ていたからです。もし稀勢の里が優勝したら絵をもらうという約束をしていたのです。研究所にふさわしいと思ったからです。
 彼の復帰は、絶望的に思えました。今場所も、場所前80番くらいの稽古でやれるようなことを言っていたのですが、親方衆からのよい評判はなかったし、私もあきらめていました。そして、その通りになったわけです。
 しかし、彼の引退の言葉は潔いと思って、ここに取り上げたく思ったのです。
 休場の原因の怪我となった対戦相手の日馬富士へ、そして、ずっと比べられ、“日本出身の横綱”として対抗させられていたモンゴル勢への感謝のことばは、まさに“日本人らしい”稀勢の里として強く記憶されたのです(この日本出身という、ひいき筋には、いつも共感できないのですが)。
「一片の悔いもございません」
 初日から3番続けて敗れて、通算8連敗。内容がよかったり、1つ2つ勝っていたら悔いも残ったかもしれません。野球でも引退前最後の一戦で、ヒットしたりホームラン打った人もいましたが、こういう場合、案外とまだやれるという悔いが残るかもしれません。
 そもそも「80番しか稽古しない」でなく、「できなかった。」つまり、努力しなかったのでなく、もう努力ができなかったところで勝負がついていたのです。ガチンコの厳しい世界に身をおいたことで引けたともいえるわけです。成績に見合う努力ができないところで、身を引くのは、一つの美学であると思います。
 いろんなことを言われて、本人は大変な思いをしても、人というのは、他の人のことをよく思ったり悪く思ったり、ほんの一言二言の情報で簡単に変わるものです。メディアもコメンテーターも本気であっても所詮、他人事なのです。人の感情や言っていることというのが、いかにあてにならないのかを考えさせられました。
 いつも「自分がその立場なら」と考えてみましょう。
 自分の感情や意見などといっても、ときにはそんなものだと思ってみることです。