fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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生け花

花 (華) 道。日本特有の伝統芸術で草花などを材料として芸術的に生ける技術。仏前の供花 (くげ)、荘厳などの宗教的行事に始まる。草花を観賞する挿花 (そうか)

今日:立華,生花,盛花,瓶華,現代華。

「フラワー・デザインは加え、生け花は引く」

四季折々の樹枝・草花などを切って花器に挿し、その姿の美しさ、いのちの尊さを表現し観賞する芸術。礼儀作法を大切にする。草木や花を人間と同じいのちのあるものとし、見つめる。

「花は人の心である」

流派:全国に2000~3000程ある。[池坊]開祖・池坊専慶、京都の六角堂池坊の僧侶/[小原流]租が盛花を考案した/[御室流]御室御所「仁和寺」が家元/[桂古流]桂宮家華務職が流租/[華道遠州]茶人の小堀遠州が租。

 

サオトメ(早乙女)、サナエ(早苗)、サクラ(サ―農業神、クラ―いるところ)、はな(秀+占、前兆 )、植物を立てて神を招く行為(依代)。常緑樹信仰。内松―年神の依代、松・杉・槙・榊・神木

花の霊威、鏡花、やすらい祭(今宮神社)

室町時代の東山文化、書院造りの床の間に正面から見て最も美しく見られるように飾る。

作法:床の間から畳一帖隔てた位置に座り、花へ一礼して拝見。全体の構成、花材の取り合わせ、花器、花代まで拝見、生けた人へ感謝の一礼。

様式:立花[りっか]床の間を飾るために生けられた様式、花を縦長に生ける技法。風景的。

仏教的宇宙観で中心にそびえる「須弥山」、儒教の「天地の気」を表現する。

生花[しょうか]茶室に飾られる。平たい器と剣山を使用。

抛入花、茶花の出生は、花のそのままの姿を生かす「矯める」「透かす」を戒める→形式化

自由花 ステージやイベントに自由な発想で演出。

盛花

花材の取り合わせ、一般には「一種」「二種」「三種」「四種」「五種」、主材には夏ハゼなど「木もの」、配材には菊やハランなど「花もの」に加え「葉もの」。季節重視、造型重視、色彩本位の構成。自然調(和風趣向)と造型(現代花、洋風趣向)に大別。

・座敷飾りと三具足:壁に掛けられた軸の前に卓、左から燭台、香炉、花瓶をおく三具足

「たて花」は、中心に「しん」枝を立て、その周りに下草「右長左短」、「古今」や「遠近」→様式美

水揚げ法:「水切り」「注入法」「焼く、煮沸法」「砕く」「薬剤使用」「錫、胴の利用」など

ため方:曲げる

諸道具:花器、剣山、花鋏は蔓手(つる手)、蕨手(わらび手)、花台(敷板、卓台)

 

<歴史>平安時代藤原道長の孫、橘俊綱著作「作庭記(さくていき)」に「神のあまくだりたまひける時も、樹をたよりとしたまへり」神を招く「招代(おぎしろ)」

神聖な岩「磐座(いわくら)」、「松」→神を「待つ」→門松(「立松」) 、祇園祭の山鉾→「山」に真松、「鉾」に真木

・仏への「供花(くげ)」、栂(とが)ノ(の)尾(お)高山寺(こうさんじ)「鳥獣人物戯画」蓮の花=供華

出陣の際にヌルデ(勝軍木)、関東地方では板碑(一種の卒塔婆)、

常盤木を直立させることを趣旨とする依代系の挿花と花々のデザインを装う供華系の挿花の融合が室町時代中期の「たて花」を形成

・鑑賞の花

頭に花を挿す挿頭(かざし)の文化、ファッションであり魔除け「花笠」

平安時代平城天皇随行した人々が菊の花を挿した(807年)

・宮中の花

仙伝抄(1445年)最古の花道書、応仁の乱(1467年)、宮中の挿花文化、山科家の家司の大沢久守

室町時代:流行した七夕花瓶合 (かへいあわせ)、座敷飾などの室内装飾とともに挿花作品

室町幕府の同朋、侶の立阿弥 (りゅうあみ)、相阿弥,文阿弥などの将軍家の同朋衆池坊の僧専慶。池坊専応,専栄の代に伝書。池坊、阿弥派(谷川入道、斯波家)、谷川流の3つ。

室町時代中期:京都、六角堂の池坊専応による花道伝書「専応口伝」自然の「をのづからなる姿」を表現、「飛花落葉」の無常を見て「さとり」

専応の跡継、専栄が「生花の事」、「出生(草木の自然の姿)」では、漢語「自然」は和語「おのずから」、「生花」は「茶花」

南北朝:花器を競う花御会(1380年、二条良基)

七瓶花合(1399年、義満)→七夕法楽

たてばな(室町) 唐様→和様へ

供える花と飾る花→いけばな、書院造(押板、違い棚、付書院)

桃山城郭 大立花 初代池坊専好 立花(りっか)二代専好(後水尾院サロン)

茶の湯のなげいれ花(利休)

江戸時代初期:二代専好が「立花」様式を大成、「立花」では下草が多様化・機能化「七つ道具(心・真、正心・正真、副、請、流枝、見越、前置 )」『替花伝秘書』『立花秘伝書』などの伝書。

抛入花 (なげいればな)

江戸時代中期:「桐覆花談話」、「抛入花」には「流し葉」と「留」の二つの役枝があり、五つの役枝をもつ花を「五景(いけ)花(ばな)」と呼ぶ。形式化が進み、「抛入花」が「生花」となる。生花 (せいか、しょうか)の古流,遠州流,宏道流,松月堂古流,石州流,相阿弥流など、家元制度が確立。天・地・人や真・行・草など三角形の花型が考案。上流階級・武家階級のものから広く庶民のたしなみへ。

江戸後期:曲生けと呼ばれた遠州流系では技巧の達人・名手を輩出。銅の花器、塗り花台。関西では未生流系、東日本では古流系。

化政文化」未生斎一甫の「生花」理論、天円地方から「鱗形」を導き、それに「天(体)」「地(留)」「人(用)」を三枝を配して構成する。

江戸末期から明治初期:ジョサイア・コンドルらによって欧州に紹介、なげ入れ花、盛花(もりばな)

明治初期、中国の文人の理念を受けた挿花「文人花」が盆栽流行と相まって京阪神に広まる。

小原雲心の「盛花」

西川一草亭の理念「風流」、近代以降の花道史「芸術」

明治末期、大正:小原流の盛花 (もりばな)。安達式挿花。清雅をねらった文人生 (ぶんじんいけ)。

 

花の世界において「生花」は、「立花」と「抛入花」の中間、小型だが「型」をもつ。

文化の上方から江戸への移行、源氏流の千葉龍卜(りゅうぼく)、以下諸流派が林立する。

伝統的「生花」と「近代」の確執から山根翠堂の自由花運動、大正時代に「真生流」旗揚

第二次世界大戦後、小原豊雲(雲心の孫)、草月流の勅使河原蒼風、さらに未生流系の中山文甫の3人による「前衛いけばな」として知られる「いけばな芸術」

「いけばなインターナショナル」(1956年)発足

日本いけばな芸術協会」(1966年)発足   

 

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参考文献:Ⅰ.ブリタニカ国際大百科事典、Ⅱ.日本文化いろは事典、Ⅲ.ウィキペディア、Ⅳ.中村修也(講談社)、Ⅴ.熊倉功夫(放送大学叢書)、Ⅵ.「マンガで覚えるいけ花入門」名高美子(金園社)、Ⅳ.「歌・花・香と茶道」井上修