バイデン大統領の就任式で、自作の詩を朗読したアマンダ・ゴーマン、「私たちがのぼる丘」と題された詩から。
だから、私たちに残されたよりも良い国をあとに残そう。
バイデン大統領の就任式で、自作の詩を朗読したアマンダ・ゴーマン、「私たちがのぼる丘」と題された詩から。
だから、私たちに残されたよりも良い国をあとに残そう。
究極の自尊価値は、
個性的な創造から生まれますが、
独創的なものほど、ほとんどは、
社会的に無駄なものです。
仕事の独創性に生きがいを見出せと言いつつ、
そこから生まれるブランドなどの付加価値を
環境に悪いとして、商品を使用価値だけにして、
環境を守ろうとかいうところで、
論は破綻している、とも思われます。
仮によしとしたところで、
どうして日本の知識人がここまで
惹かれるのでしょうか。
若い才能の登場は喜ばしいことなのですが、
コロナ禍で明らかになった
日本の政治、行政の無能さとともに
私には、ややショックなことでした。
王様になりたい人は、奴隷にもなり、
貴族になりたい人は、平民にもなり、
セレブは貧民にもなり、貧民は平民にもなり、平民はセレブにもなる。
平等にする、のでなく不平等を平等に分ける。
いつも同時に三つ以上の人格や役割を
生きるようにする。
すると、弱者、生贄はでにくくなるでしょう。
対話や議論のできない日本人の
思想に基づくコミュニティはかなりの危険を孕んでいます。
文化、芸術、スポーツなどが、
救う可能性があります。もちろん、
仕事や作業も、アートになれば、同じですが。
よいトレーナーは、人を安心させられます。
正しくみえることを安易に信じないことです。そのために、どうすればよいのでしょうか。
どちらにしても、一人とどまって、個人的に問題に対峙するということです。
人々がつくりあげてきたもの、受け継いできたものには、さまざまなものがあります。特によいものと思えないのに、続いているものもあります。それは、誰かにはよくなくとも誰かにはよいことなのでしょう。
それでも、少しずつ人間の社会は、よい方向へ進んできたように思うのです。しかし、人間にはよいことが人間以外によくないことは、まだまだ多いのです。
そういうことに皆が気づいて久しくなりつつあります。誰かによいことは、誰かにとか何かに悪いことになっていることをもっと大きく想像し把握し対策する必要があります。
私たちは、コロナ禍もこれまでの人類の克服してきた災いと同じく、やがては乗り越えられるという自信にあふれています。すでにワクチンなどによる対処もみられます。
こうして、日常の大切さを気づかされては忘れる愚かさを、幾度となく私たちはくり返してきたのではないでしょうか。
生きていると、誰しも、天災、人災、戦争、事故など老病死苦に象徴される、嫌なことや避けたいことが、なぜあるのかという問いに直面することがあります。
悲劇に直面したときが、唯一の変革のチャンスなのだから、ともいえるのではないでしょうか。
生命のこと、人類のこと、人間のこと、人々のこと、そして皆さんのことと、語りつくせないので、思い切ってー省くと、
こういうときこそ日常でありつづけようと務め、日常とは何かを深く考えることではないでしょうか。そして、それを守るために地道に下積みの努力を続けていくことでしょう。
日常と違うことに気づくのは、活動中は、なかなかできません。日常に気づくことは、もっとも難しいからです。
今こそ、新たな発想をもち、異なるものごとを受け入れて変革を試みるときです。オンオフのオフのときこそが、最大のチャンスなのです。新たな日々のために、この機会を最大に活かせるように、しっかりと歩んでいきましょう。