ある価値観が否定され、その虚偽を暴くことが目的となってしまう。それは、手段の目的化です。否定することで、さらに否定が生じていくのです。
「盲目的になりやすい時代」
歴史的にみて、共通目標が不在、相対的になり、一人ひとりバラバラ、何でもあり、何にも信じられないとなると、それに耐えられない人から、何かを盲目的に信じていくものです。
考えて判断するのは、めんどくさいし、それでよいのかは、本当のところ、誰にもわかりません。となると、不安で苦しいからです。
なかでも真面目な人ほど批判的になっていきます。そして敵を設定し、擬似コミュニケーションに陥ります。それはつながり、きずなになり得ず、自分はないがしろにされているという感情をもちます。
すると、慎むべきものを公にしたり、タブーを犯いたり、破壊して乗り越えたくなるのです。
このブログについて
ここには、私個人が感じたことを、やや角度をつけて掲載しています。世の中にはいろんな見方があります。その違いをふまえてこそ、お互いに学びあい、成長の糧にしていけるでしょう。意見が異なるからといって否定するのでなく、相手の論拠を学ぶ手間を惜しまないことです。他人と異なる意見や考え方を持ち、それを表現することを恐れないで欲しいのです。