ダルビッシュ有は、フォームについて、次のようにツィートしています。
「ただフォームは絶対教えられません。脳を始め、骨格や筋肉のつき方も人によって違うので、正解は絶対にないです。
それに比べて変化球は、こういう回転軸でこういう方向から力を加えたらこうなるとある程度決まっているので難しくないんですよ。」2020/11
ダルビッシュ有は、フォームについて、次のようにツィートしています。
「ただフォームは絶対教えられません。脳を始め、骨格や筋肉のつき方も人によって違うので、正解は絶対にないです。
それに比べて変化球は、こういう回転軸でこういう方向から力を加えたらこうなるとある程度決まっているので難しくないんですよ。」2020/11
〇歴史は学ばないと悲劇をくり返す
ヨーロッパが大きな被害を被った第一次大戦で、日本は権益を増しましたが、それまでの戦争でずっと運のよかった日本は、そのあと、第二次大戦に突入、壊滅的な被害を受けてしまうのです。
これが、政治状況も合わさってか、私には、コロナ禍の今の日本と重なってみえてなりません。運のよいことに甘えると、次にとても恐ろしいことが起こるのです。
〇歌と話と声の不条理
私には、パンデミックは“エボラ出血熱”みたいなイメージだったのに、人類を幸せにするはずの歌や話=声が、その媒介とされてしまった不条理に直面するとは考えもしませんでした。ウイルスとの共存とかwithコロナという考えもふまえ、本質的な問題へ深く関わっていくことが必要なときしょう。参考とするのは、『ペスト』ではなく、『沈黙の春』なのです。
バイデン大統領は、幼い頃から吃音で悩んだそうです。自伝『Promises to Keep』の第一章は「障害」です。子どもの頃、小学校で朗読中に質問され、答えようとしてついどもったところ、教師は「バ、バ、バ、バ、バイデン君」と話したので、彼は教室を飛び出して帰宅。母親はバイデンを連れて学校に行き、抗議にしたといいます。
以下、ジョー・バイデン前米副大統領の自伝『Promises to Keep』より。
高校では、生徒が朝礼でスピーチをすることになっていたのに、初め、吃音でバイデン氏は免除されました。「今日でさえ、その時感じた不安感、恥ずかしさ、強烈な怒りを、当時と同じくらい鮮明に思い出すことができる」と記しています。彼は吃音克服のため、鏡に向かってエマソンやイエィツの詩を暗唱する練習を繰り返しました。高校の卒業式では、一度もひっかからずにあいさつをできたそうです。
政治家になってもバイデン氏が演説中にどもることはあります。バイデン氏は「精神的な重荷があるからといって、誰も肩身の狭い思いをさせられることはないし、誰も一人で重荷を担わされるべきではない」と記しています。
個性ばかり求められるなか、何がしたいかを問われても困るのでしょう。歌手、タレント、ユーチューバーとかが目標に出てきても、それは、あこがれに流されているだけの段階です。
何かできることがあって、したいことがみつかるなら、進んでいけます。そこで基礎学力や基礎体力といった、基礎がいるのです。基礎不足では、目的がずっと絞れないものです。 [606]
明治生まれの軍人の下、大正生まれの人が20代から30代で戦争を実際に担った世代です。日本の技術者は、世界のトップクラスでしたから、敗戦後も「物量で負けただけ」と皆、思って、捲土重来を期していたと聞いたことがあります。
飛行機製造は、もっともハイクラスな技術であったため、GHQの禁止(1952年まで)による転用が自動車や家電の開発となり、日本の高度成長を支えたのです(戦闘機「隼」設計者の糸川英夫は、ロケット博士となり、小惑星イトカワに)。
ちなみに日本初のジェットエンジン機は橘花(きっか)で、飛燕は日本初の空冷式エンジン量産機でした。戦後の日本初の国産製造航空機は、YS11(1965年就航)です。
戦争の歴史遺産は、ある意味で重要な作品です。しかし、その「再生」には、そこに至るストーリーを語り伝えなくては、共に生きた人にしかわからなくなります。 今は、日本の敗戦までを第一線で語ることのできる人の喪失の時期なのです。当事者がほとんどいなくなり、こうした歴史の継承が危惧されます。敗戦は、終戦として、そうした人たちの口を固く閉ざしてきたので、尚さら、その記憶の記録と継承をすることは重要でしょう。