そういう日本人だからこそ、こういう国をつくってきたのです。
3月4日からわずか2ヵ月少しでまた、この書けない、問題にぶちあたるのは、きっと、そういう日本人やそういう国が世界史上、決して悪くはないぞ、という私の愛国心からきているのかもしれません。つまり、これを書けない私は、日本人らしい日本人で、政治や時事問題にはなあなあで、一方で自分のやりたいことを優先して生きてきたエゴイストとして、戦後の団塊の世代に代表される日本人らしくない日本人です。こうして、国や将来のことを考える(しかしそれは日常の生活と関わることなので専門外ということもない)私と公私区別して生きているからなのです。
しかし人間、このエゴイストから社会性を獲得することが、大人になることでもあるのです。10年20年前と同じように生きている人は10年20年で変わっていく人間というのをわからないものです。そのよしあしは、別のことです。
つまり、多くの場合、人は、自分の経験した範囲で自分の思考のワク内でしか考えられません。自分と違うように考えたり、自分よりも深いことを知り、読み、発言していることもどんどんわからなくなってきているのでしょう。それでは、人や本にいくら接しても大して学べません。まずは人の深さや本質の見抜き方を学んでいくことでしょう。こんな時代だからこそ、フローな情報でなく、ストックした情報で本質をみぬくことの価値(専門家の価値)をもっと認めることです。