歴史的にみて、共通目標が不在、相対的になり、一人ひとりバラバラ、何でもあり、何にも信じられないとなると、それに耐えられない人から、何かを盲目的に信じていくものです。
考えて判断するのは、めんどくさいし、それでよいのかは、本当のところ、誰にもわかりません。となると、不安で苦しいからです。
なかでも真面目な人ほど批判的になっていきます。そして敵を設定し、擬似コミュニケーションに陥ります。それはつながり、きずなになり得ず、自分はないがしろにされているという感情をもちます。
すると、慎むべきものを公にしたり、タブーを犯いたり、破壊して乗り越えたくなるのです。