少し掘り下げておきます。
21世紀に入り、私たち人類は、大きな倫理的進歩を遂げてきました。法制度上は、人種差別は否定され、同性愛なども多くの国で認められるようになりました。科学技術も発展し、世界から飢餓をなくすことも可能な段階にまで達しています。
なのに、です。
国家間の戦争や武力衝突はなくなるどころか、むしろ複雑に常態化しています。
なぜ私たちは、もはや生きるために奪う必要がない時代に、人を殺し続けているのでしょうか。
かつての戦争や侵略の多くは、飢饉や自然災害による生存危機が理由でした。生き延びるために他国を侵略し、土地や作物を奪うのには、少なくとも自分たちの強い生存欲求が働いていたのです。
しかし、現在の多くの武力衝突は、国民が飢えているからではなく、権力者が自らの地位や利権、影響圏を守り、拡大するため、です。これも、個体保持、種族保持といえなくはありませんが。
ロシアによるウクライナ侵攻、中国の南シナ海での軍事行動、アメリカの関与してきた中東での戦争などは、国民の生存そのものとは、直接には結びつかないです。そこにあるのは、覇権、威信、地政学的優位性といった、為政者側の論理です。
民主主義であれ、社会主義であれ、政権を担う側が、自国の利益最大化を目的とすると、その行動原理は、似通ってきています。いわば長期独裁、強権政治、覇道です。
ベネズエラの国家経済は崩壊的状況で国民の多くが困窮していますが、軍と利権を押さえた政権は、国民生活よりも体制維持を優先してきました。これは、キューバやニカラグアなど、権威主義国家にも共通する現象です。
ラテンアメリカ諸国が中国との関係を深めたことも、価値観ではなく利益による選択を示しています。人権や民主主義よりも、投資やインフラ整備、資源取引が優先されたのです。一方、アメリカがグリーンランドに目をつけたのも、住民の幸福ではなく、レアアースと北極圏の戦略的価値です。
このように見ていくと、問題は、人類の倫理意識と、為政者が振る舞わざるを得ない政治・経済システムとの乖離です。為政者が有能であるほど、自国中心の判断を下し、その結果として世界全体は不安定化します。流血を増やしてしまうのです。
次の25年、残念ながら、国家単位の競争が続く限り、争いが減るとは考えにくいでしょう。アメリカ、中国、ロシアを中心とする大国間の緊張は、続くでしょう。
私たち日本人には、自由による争いか、力による平和の選択、いや、その選択肢すら与えられていないのでは。
こうなると、国家ではなく、市民社会や企業での国境を越えた協力体制など、人類全体の意識が、どこまで政治の論理を倫理的に相対化できるかが問われそうです。