「75万人の命救った用水路~医師・中村哲 希望のアフガニスタン~ |」
九州大学医学部生体解剖事件の翌年、生まれたのが、中村哲氏で、この事件を強く意識していた人物としても知られています。氏は、医学とは本来「人を生かすための学問」であり、国家、軍事、権威、研究成果といったものに従属したとき、容易に人命を犠牲にし得ることを歴史から学ぶべきだという立場を取っていました。
「医療は人の側に立たなければならない」
「弱い立場の人間を切り捨てる医療は医療ではない」
という信念です。
つまり、人命の尊厳を最優先にする医療とは何かを、生涯を通して世界に示したのです。
両者を並べて考えることは、医学が過去をどう乗り越え、未来へ何を引き継ぐべきかを考える上で、重要なことでしょう。
「流される石になるな、大きな石になれ」
「やられてもやり返すな」
「世界がどうだとか、国際貢献がどうだとかいう問題に煩わされてはいけない。それよりも、自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で、人としての最善を尽くすことではないかと言うふうに思っています。」(中村哲医師)
あらためて、ですが、中村哲氏は、国際NGO「ペシャワール会」の現地代表として、長年にわたり、人道支援に尽力しました。その生涯は、医療活動にとどまらず、人々が生きるための基盤そのものを支える実践に貫かれていました。
福岡県生まれ。九州大学医学部を卒業後、内科医としての道を歩みますが、1980年代にパキスタン北西部のペシャワールで医療支援活動に関わったことが転機となります。現地は貧困と紛争、劣悪な医療環境に苦しんでおり、多くの人々が治療を受けられずに命を落としていました。
やがて中村氏は、病気の根本原因が、栄養失調や不衛生な水、干ばつによる農業崩壊にあることを痛感します。そこで、用水路建設や井戸掘削といった水利事業に取り組むようになりました。水がなければ人は生きられないという信念に基づくものでした。
中村氏は、現地の人々と共に大規模な用水路を建設し、砂漠化した土地を農地へとよみがえらせました。多くの住民が自立した生活を取り戻し、難民化を防ぎました。彼の活動は、援助ではなく共生を体現するものでした。
2019年、中村哲氏は凶弾に倒れました。しかし、仲間たちにより水路は完成します。
中村哲氏の専門や立場を越え、人間の尊厳に真正面から向き合った生涯は、今なお多くの人々に深い問いと希望を投げかけ続けています。
国も民族も関係ない、でしょう。なのに、、、。