TV番組「なんで私が神説教」
高校教師である主人公の麗美静を広瀬アリスさん。数学教師の浦見光をSnow Manの渡辺翔太さん、政治経済教師の森口櫂を伊藤淳史さん、教頭の新庄保役を小手伸也さん、校長・加護京子役を木村佳乃さん。解説なしで引用します。
第1話
「私は彩華をイジメてない」という生徒に、静は
「イジメとイジリは同じよ!!何も違わない。やられてる側がそれを良しとしてるか、してないか、それだけの違い」と断言。
もともとは、彩華は陽奈と友達になりたかった。だからツラいのにずっとイジられてきた。嫌だと言ってしまうと、ノリが壊れてしまうから、嫌われてしまうから」
「わかるでしょう。昨日まであなたが内藤さんにやっていたことはイジリとして受け止められていた。でも今日一日でそれがイジメというノリに変わってしまった…あなたそれでみっともなく狼狽してたじゃない」
みっともないのは、急に態度を変えた他の生徒も同じだと断罪する。
「集団がある限り、多かれ少なかれイジメは存在する。それがなくなることは絶対にない。じゃあどうするか。私のようなその集団に属さない人間が空気を読まず暴力的にモノ申して、ノリを壊すしかないの。」
「一応、あなたたちより人生長く生きたものとして忠告します。人の気持ちが察せない人間が軽々しくイジりというな。それがわからず大人になって同じようなことしてるヤツもいっぱいいるけど…そういう人間はいつか大事なものを失うから」
第3話
「確かに最近は、嫌になったらすぐやめるという考えをそこまでネガティブにとらえる人は少なくなった。ただ、やめてうまくいく人もいれば、いかない人もたくさんいる。何でこうした違いが生まれるのか。理由分わかる。
『やりたいこと』があるかないかよ。
どうでもいいからやめるのは一時期の感情でしかない。
そんな無責任な人間はどこに行っても少し嫌なことがあればまたやめる。
「だってそこで『やりたいこと』がないんだから」
第4話
「おかあさん、本当に七海くんが人を殴ったと思っているんですか」
「海斗はそういう人間なんです」という母親に、静は「いい加減にしてください。父親は父親、海斗は海斗。暴力行為の習慣性は遺伝しないし、そういったものを形成するのは後天的なもの。もし海斗くんがそうなのであれば、それはあなたの責任でもあります」
「誰にだって過ちはあるし、過ちを犯しても人は頑張れば変わることができる。しかし、それを周囲が認めなければ、人の変化は止まってしまう。あなたが認めなければ海斗くんはこの先、つぶれてしまいますよ。」
海斗に向かっても、
「あなたもあなたよ。自分の思いは口にしないとなかなか伝わらないの。ちゃんとおかあさんと向き合いなさい」