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谷川俊太郎さんを偲ぶ

谷川俊太郎さんが、老衰のため、亡くなりました。92歳。11/13

 

谷川さんは、日本では珍しく自作詩を詠み上げる活動を積極的になさっていました。海外では、詩人や作家は、読書会などで、自分の作品を人前で朗読するのが、あたりまえですが。

寺山修司氏の葬儀委員長や詩のボクシングなど、行動する詩人でもありました。

先日も美術館で谷川さんの詩が、さいごに大きく掲げられているのをみたばかりでした。

(「埴輪」谷川俊太郎  「ハニワと土偶の近代」東京国立近代美術館)

 

ホストをしていた「教育音楽」の対談では、代々木のスタジオまで一人でいらしてくださいました。ゲストである谷川さんの立て続けの質問で始まったので、びっくりしました。その後も質問を振ってくださり、私がお会いしたなかで、もっとも対談の妙手でした。あっという間に長い時間が過ぎたのを覚えています。

最後にお会いしたのは、三島のZ会の会場でのイベントで、狂言山本東次郎さんと一緒でした。「二十億光年の孤独」を詠んで、ご冥福を祈りたく存じます。

 

 

 

<3月に開かれた放送文化賞の式典では、息子の賢作さんが出席してメッセージを代読しました。この中で谷川さんは「私は詩を原稿用紙に書くことから始めましたが、まもなくその詩を声に出して朗読することが求められるようになり、自作の詩を自分の声で読むようになりました。初めは恥ずかしかったけれど、そのうち慣れて、活字とは違う詩の広げ方というものが自然に自分でもできるようになりました。そして放送で自作を読んだりすることが自分の仕事としても成り立つようになったと思います。放送のジャンルで仕事をすることは私にとって自然なことで、誰かの声で自分の詩が広まることは新鮮な経験でした。まもなく私は文字だけではなく声で自分の書いたものを広めることにエネルギーを注ぐようになりました。私は自分では演奏はしませんが、音楽が大好きで、自分の詩が歌になることはいつでも歓迎していました」NHK>

 

 

谷川俊太郎の詩「埴輪」 『詩集 二十億光年の孤獨』(1952)