ちょうど、こうした番組が放映されていたので紹介します。
日本独特の活動弁士と言う職業が、脚光浴びているそうです。
まぁ、どんなものでも、ブームになりだしたときには遅いわけです。
衰退していくとき、あるいは衰退したあとに、
そこでがんばっていた人にかなうことはありません。
「自分流 知の探究者たち 活動弁士 澤登翠」<20世紀はじめ、映画には音がなかった。無声映画(サイレント映画)と呼ばれ、
当時、チャールズ・チャップリンなど多くのスターがスクリーンを彩った。 日本には「活動弁士」と呼ばれる存在があった。生の演奏と共に、台本を用いて、作品の内容を語る活動弁士。最盛期には約8000人が活躍したが、トーキー映画の台頭により衰退した。そんな活動弁士が、いま再び注目されつつあるという。デジタルにはないライブ感や独特な語りを持つ日本特有の話芸が見直されているのだ。今回の主人公、澤登翠は活動弁士界を牽引するレジェンド。
大学卒業後、昭和期に活躍した名士・松田春翠の弁に魅了され師事。以後、アメリカやフランスでも公演を行うなど、国内外で活躍。師匠の「無声映画の灯を消さない」という思いを胸に、これまで数多くの作品を語ってきた。そんな澤登による詩的で迫力のある語りに魅了されたファンは老若男女を問わない。10/19BS朝日編纂>
澤登さんは、
「映画の間と自分の中にある体内リズムの両方をすり合わせていく」
と述べられています。
声優、役者には、台本がありますし、ヴォーカリストには、音楽があります。そういったものとのコラボは、相乗効果を最大限に発揮するために必要なのです。
落語、講談では、そこは自由ですが、自分でテンポを決められていくのですから、また難しいところです。
制限された世界と自由な世界、結局のところ、同じような難しさに直面するわけです。