「NHKスペシャル封じられた第4の被曝ーなぜ夫は死んだのか」
<1945年、「広島」への原爆投下。3日後の「長崎」。その9年後、1954年に漁船・第五福竜丸が被ばくした「ビキニ事件」。
これに続く、“第四の被ばく”とも言える知られざる事件があった。
私たちの社会が長い間、その存在を忘却してきた被ばく事件がある。1958年7月 アメリカの水爆実験「ポプラ」によって、太平洋上で海洋調査を行っていた海上保安庁の測量船「拓洋」と巡視船「さつま」の乗員113名が放射線を浴びていたのだ。
事件から1年後、乗員の1人で「拓洋」の機関士だった永野博吉さん(当時34歳)は、急性骨髄性白血病でこの世を去った。
当時、国は永野さんの被ばく線量は「微量」で、白血病と被ばくを「直接関連づけることは困難」と結論づけた。
それから65年、妻の永野澄子さんは事件の実態を誰からも知らされないまま過ごしてきた。なぜ、夫は死んだのか──。
番組では1年をかけて、日米の機密文書や乗員の証言などを独自に集めて分析。当時、日米両政府が核実験による被ばくの実態を把握しながら、水面下で封じようとしていた事実が明らかになった。その背後にあったのは、戦後日本とアメリカの核をめぐる不都合な真実だった。初めて浮かび上がる“第四の被ばく”の実態に迫る。>
「日本人は、アメリカに抗議しても、いかなる影響も及ばすことができず、むしろ日米関係には望ましくない結果をもたらすと言う結論に達したようである。」(スナイダー、1958年米学実験報告書)
こうして,戦後10年ほどで日本人が洗脳されて、半世紀以上経ちます。
今から考えると、安倍晋三氏は、最初はそこからの自立を、次は追随しながらも、アメリカの言いなりの財務省、外務省といった傀儡,今ではザイム真理教と揶揄される勢力と、対抗する路線をとろうとしていたわけです。
それが岸田政権になり反故され、さらに次の首相で継承強化されていくという流れです。
NHKは、がんばっていますが,こうしたきっかけが、
いつもアメリカから秘匿文書の公示からであるのは情けない。
日本では、。