世界ランク1位のブラジルにフルセット勝ち、バレーボール女子、見応えありました。26-24 20-25 25-21 22-25 15-12
すべてが5点差以内、稀にみる接戦でしょう。
合計でも、108−107で、ギリ優っています。
合計点でなく、セット数で決めるのは、テニスや卓球などもですね。考えてみれば興味深いことです。
さて、イタリアとの決勝、見る方がよいのでしょうか。
ちなみに、バスケ女子は、95-87オーストラリアに勝利、男子は、その第一戦89-90で敗北。
◯コロナ禍とワクチン禍
コロナ禍でのワクチンは、人体実験です。
それを断罪したいのでなく、必要悪でもあり、非常時ゆえ、リスクとの兼ね合いでの判断です。
これは、有名なトロッコ問題#のように、理解しています。
放っておけば、100人のうち10人死ぬが、全員がワクチンを打てば、100人のうち、1人が死ぬだけ。ただし、ワクチンで死ぬのは、ワクチンを打たなければ死なないで済んだ人かもしれない。
この条件設定は、もっと細かくするべきですが、エビデンスもなく、大して意味は持ちませんから、おおまかなままで。
トロッコ問題では、これを血清で置き換え、5人を助けるため、1人を殺せるか、、となると、殺人ですから、できないとなるのです。
現実的に考えても、人は、自分が愛する1人を救うためなら、何人どころか、何万人と殺せるのですから、数で決めてよいものではありません。
当初、ワクチンの危険性は、未知であり、(それは今も未知ですが)コロナ禍は、猛威を振るっていたので、死ぬ率の大きかった国では、ワクチンを打つことに迷いはなかったでしょう。
日本では、宿泊施設割引などの特典でワクチン普及といった能天気な手段がとられるほど、切迫詰まらなかった、だからこそ、逆に、ワクチンの功罪を、はっきりと検証しないといけないの
はずです。次に備えるためにも。
#「トロッコ問題」
<「暴走する路面電車の前方に5人の作業員がいる。このままいくと電車は5人をひき殺してしまう。一方、電車の進路を変えて退避線に入れば、その先にいる1人の人間をひき殺すだけで済む。どうすべきか?」
「5人を救うために1人を犠牲にすることは許されるのか?」という問題。電車は止められず、線路上の人たちは逃げられない状況とする。
イギリスの女性哲学者フィリッパ・フットの「トロッコ問題」1967年。>