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カネテツ復活 自己改革のヒント 習近平、中居さん

<ウクライナのゼレンスキー大統領と中国の習近平国家主席が、電話で協議した。中国外務省によると、ウクライナ側からの要望で実現したという。3/26>

 

岸田首相も、ウクライナの後、ロシアを訪ねていたらな。

というか、安倍晋三氏が動くべきだったのに、もはや、そういう発想さえできない日本、アメリカへの忖度、ダメともいわれないうちに、もはや思考停止。

世界は反英米に動いている、せめて、中立、独立、自立を。

 

 

カネテツ#の復活から学ぶ自己改革

カネテツ会長の村上健氏は、苦境のとき、京セラの稲盛氏の講演テープ

「今あなたの周りで起きている事は、全てあなたの心の反映です」を聞いて、

「被害者意識しかなかった、自分の心がダメなのか」と衝撃を受け、猛反省をして、会社に泊まり込み、再建しました。

 

その後、稲盛氏に会って、

「10年、早くお会いしていたら」と言ったところ、

「同じだ」

「自分のこととして受け止めるのは、こういう出来事があったから、辛酸を舐めたから、心にすっと入っていった、そうでないと、ええ話で終わっていた」

と言われたという。

人間、そう簡単に変われるものではありません。

 

◯自分で引き受ける

最近は、「自己責任などと言ってはいけないというような風潮のもと、どんなことでも、本人ではなく、周りに問題があるとか、被害者としてきちんと声をあげろとか言われます。

本当に弱っていたときには、それを自己責任と受け止めないで、まわりの助けを求めることは、大切かつ必要なことです。

しかし、そうでない場合に、どちらで考えるかということかと思うのです。

いや、そうであるか、そうでないかの判断さえ、その人次第なのです。

 

かつては、自分が変わるしか救われることはなかったのです。でも、ご近所とか親類縁者など、血縁、地縁、会社といったネットワークが、今よりは濃密で、そこで助けられたことも多かったでしょう。察し合い、以心伝心のコミュニケーションがとれたからです。しかし、それは、プライバシーなどなく、うっとおしいものでもありました。でも、人とまみえることで変われたわけです。

今は、公的、あるいは私的なセイフティーネットワークなどに頼ることができなくもないのですが、それもよしあしです。そのことによって、大きく変わるチャンスを逃していることもあると思います。

 

もちろん、責任と権限のある社長と一社員、まして社会的弱者では、違います。

トップに立つ人は、自己責任どころが、他の人の行ったことさえ責任を取らなくてはなりません。そこで、痛い目にあいながら、めげずに力をつけていくわけです。

そうした機会を持たない、むしろ、避けると、超えられない精神的ハードルが高いままになります。歳をとり、体力がなくなると、これまで我慢できたことさえ乗り越えにくくなります。

できるだけ、若いうち、というのは、誰にとっても、今なのですが、ハードルを下げる経験、つまり、痛い目に遭って克服していく経験を積んだほうがよいといえるのです。

そうでないと、そうした状況から、大きくは抜け出せない人生となってしまいます。

 

ほとんどの人のように、中間層にいる場合に、どちらで考えるか、それが、その後の人生を分けるのです。

 

いつも私が言ってるのは、そこから抜け出すには、自分の責任として受け止める方が変われる可能性があるということです。

他の人は、動かせませんが、自分は変われるからです。なによりも、自分が動かずに、他の人は動いてくれません。

格差解消なども、こうした飛躍によって乗り越えるのが、本道と思っています。

 

自分が変わる、もちろん、これも簡単ではありません。逆境、苦境に陥って、初めて変われるケースが大半です。

 

SMAPの中居さんが、脱退してレーサーとなった森さん#が、大怪我をしたとき、「人が乗り越えられない試練を神様は与えない」という言葉をかけたそうです。「その言葉励みになった」と、森さんは、言っています。

 

試練が降りかかる、もっとよいのは、そのまえに自ら試練に飛び込むことです。

その一つは、人と関わっていくことにほかなりません。

 

 

#<元SMAPのオートレーサー森且行が、9Rで2年3カ月ぶりに復帰し、1着となった。森は21年1月の飯塚オートで落車。選手生命の危機に立たされた。たび重なる手術、過酷なリハビリで克服。4/6>

 

#<1926年に創業したカネテツ。イメキャラ「てっちゃん」は関西で有名。村上は1989年、創業家の娘婿として36歳で3代目社長就任。仕入れ先の社長が行方不明で負債総額170億円を抱え、神戸地裁に和議(民事再生)、経営破綻。再建途上の2002年に社長に復帰、さらに社員の賞味期限書き換えで、取引先の信用を失う。稲盛和夫氏の講話で、経営者として未熟な自分に全ての原因があると悟り、社員と共に工場で働くなど、やり直した結果、2004年には、返済を完了。その後、次々とヒットを生み出す会社へ。「カンブリア宮殿」4/21>