昨日のフォローに二つ。
◯NHK番組「英雄たちの選択 ようこそ黒船 〜阿部正弘とマシュー・ペリー〜#」4/19
なかなか見どころ、ありました。日本も大変、でも、ペリーやアメリカも大変だったのですね。
当時は、日本も、しっかりと最新の国際情報を得て、活用できていました。
軍事力の差こそ、ありましたが、日本人が一丸となれば、占領できないだけの備えへの対策もあり、戦力も維持できていたのでしょう。
外国からの支援に頼って国を二部するような愚を回避し、内戦に終わらせ、それにも外国のつけ入る隙を与えなかった。
なによりも危機感があったのです。大した政治力だったと感心します。
#<マシュー・ペリーは、大統領から「発砲厳禁」の命令を受け、補給物資が足りず、日本滞在の時間は限られていた。>
老中の阿部正弘は、28歳で老中、老中ですよ、老中。そして、39歳で亡くなる。すごい人事だったのですね。
◯NHK番組「陸奥宗光・小村寿太郎~条約改正への道のり~歴史にドキリ1/31」
ノルマントン号事件での治外法権で辛酸を舐め、6年後、外務大臣陸奥宗光は、条約改正に挑みます。イギリスは、最大の敵ロシアに対抗するために日本に協力を求めてきました。1894年、イギリスとのあいだで治外法権の撤廃に成功。15か国から治外法権の撤廃を勝ち取りました。
日露戦争の勝利をを追い風に外務大臣小村寿太郎は、条約改正交渉に臨みます。
1911年、アメリカなどの国々から関税自主権の回復に成功します。
幕末から50年あまりのあいだ日本を苦しめた不平等条約が、陸奥と小村らにより、改正されたのです。
そうした先人のの努力、勝ち得た成果のあと、形だけ整えたら、内実、あまり変わらずにきたわけです。
この国は、外圧がないと、内部からの自浄作用は働かないのでしょう。この30年、さらに、やってる感づくりだけで体裁をとっているだけになりつつあるように思います。
<幕末1858年、幕府が結んだ修好通商条約などの不平等条約は、1894年イギリスと治外法権撤廃に成功、他の国々とも同様の改正。1911年関税自主権の回復、>