fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

言論と表現の弱体化

ヤマアラシのジレンマ#のように

先日、30代の方のレクチャーを聞く機会がありました。テーマが似ていたので、私もその年代当時に話したことと照らし合わせて聞きました。そのなかで、ショックだったのは、質問が攻撃と捉えられるという指摘でした。

 

コンプライアンスとハラスメントが、取り沙汰にされる現在において、聞いている人の神経を逆なでしないように、ずいぶんと気を遣うようになってきたように感じます。

 

日本人は、もともと議論などに慣れていないし、考えを言語化することや対話もあまりできていません。言う方も受ける方も、かつての団塊世代のように喧々諤々#の経験もないから、大変なのでしょう。暴言でなくとも、少し強すぎる程度の言葉によって傷つく人が少なからずいるからです。

 

表現の自由と規制

こうした状況では、アートにおいてでさえ、傷つけられたとか、羞恥心を刺激されたとか、そういうことで、ハラスメントまがいに受け止められかねません。

メタバースの世界ではもう、つかまれたとか触られたとか、それがメタハラと言うことで問題になりつつあります。アバターでも、自分の分身以上のものに扱われつつあるのです。そのうち、痴漢、ストーカー行為として事件に上がってくるかもしれません。盗撮、万引きなどは難しそうですが、、、。

 

人に何かを尋ねることさえ、攻撃と取られるようになってしまうと、人に声をかけるにも、ハラスメントになりかねないわけです。難しいのは、ハラスメントの場合、受け手の感情によって判断されると言うところです。

となると、無難にやり過ごすためには、関わらないと言う選択をとる人も多くなってくるでしょう。AEDの使用について、相手が女性なら男性はためらうという調査結果もありました。

そうした社会が本当に幸せなのか、よく考える必要があると思います。

 

 

#喧々諤々

「喧喧囂囂(けんけんごうごう)」の「喧」と「囂」には、「かまびすしい」「やかましい」「さわがしい」という意味。「口やかましく騒ぎたてるさま」「たくさんの人がやかましくしゃべる様子」を表す。

一方、「侃侃諤諤(かんかんがくがく)」の「侃」には「性格などが強いさま、のびのびとしてひるまないさま」、「諤」には「正しいことを遠慮せずにいう。ごつごつと直言する」(『学研 漢字源』)という意味。「正論を吐いて屈しないさま」「みんなが率直に意見を述べて議論している様子」を表す。

喧々諤々[ケンケンガクガク]は、この二つが混同して用いられた混交表現です。新聞社などの「誤りやすい用字用語・慣用語句」には「けんけんがくがく」があげられています。

放送にあたっては、混交表現で、正しい使い方とは言えないこと、「喧喧囂囂」と「侃侃諤諤」は、それぞれ意味が違うことを留意しておく必要があります。すべて常用漢字表にはない字(表外字)で、放送での表記は、「けんけんごうごう」「かんかんがくがく」です。

NHK『ことばのハンドブック』『新用字用語辞典』参照)



#ヤマアラシのジレンマ

「自己の自立」と「相手との一体感」という2つの欲求によるジレンマ。寒空にいるヤマアラシが互いに身を寄せ合って暖め合いたいが、針が刺さるので近づけないという、ドイツの哲学者、ショーペンハウアーの寓話に由来する。

最近は、ハリネズミのジレンマと使われることもある。ヤマアラシのジレンマがルーツで、『新世紀エヴァンゲリオン』で使用され、一般化したようです。造語。ヤマアラシは相手を威嚇するため攻撃的に針を逆立てるが、ハリネズミは身を守るために針を用いる。また、ヤマアラシの針は相手に刺さると自らの身体からは抜けるが、ハリネズミの針は刺さっても抜けない。