◯歌詞とメロディ
日本語でポピュラーを歌うと、歌詞とメロディーとリズムのバランスがどうしてもしっくりといかずに聞きにくいと言われてきました。となると、何を変えるのかということになります。
歌謡曲や演歌、いや唱歌や童謡でさえ、向こうのストレスアクセント言語を踏まえたメロディーにのせにくい日本語では、高低アクセントが犠牲になったりしていたわけです。多くの場合は、歌詞を重視して、音楽性、声の楽器としての音色やフレーズの展開が犠牲となりました。
◯桑田佳祐論
サザンオールスターズで桑田佳祐さんがデビューしたとき、彼の不明瞭な発音の歌詞がかなり取り沙汰されました。なによりも歌詞を大切にするのが、日本の歌であったからです。
彼のフレーズ処理は、ことばより音感覚、なかでも音楽性が犠牲になってきたことへの反抗のように思われました。私は、言葉でなく、音としての声のフレーズ感を聞いていたのです。もちろん詞もすばらしいのですが、音楽的センスが、新しい形で日本語の歌に融合したようにみえたのです。
◯音量
「音のデュナーミク、ダイナミックが大体100段階に分けられる」とするチェルニーの説を紹介しながら、演奏では20段階くらいに分けていると、ピアニストの井上直行氏は、著書「ピアノ奏法」で述べています。
鍵盤一つで決まる高さに比べると、音量は、どうも大雑把です。
聞く人が、大きな音に、よい印象を抱くとは限らないということもあるからでしょう。
音量は、聞く人との関係に負うてしまうことが、多いのです。たとえば、音楽を聴くときに、高さを調整することはできませんが、音のヴォリュームは、自分で、それぞれに違うように調整できます。だからこそ、個性、独自性が出せるところともいえましょう。メリハリやグルーブとも絡みます。
◯レチタティーヴォ#
レチタティーヴォは、元は、詩の朗読や朗唱の意味です。そこにメロディーが入って、朗唱風の歌い方という意味になってきたのです。元より、歌がついた芝居、セリフの間に歌が入っていた演劇に対して、オペラが誕生したのです。
かつて日本の子供たちは、イタリア人ぽい真似をするのに、「驚のーきー、桃のーきー、山椒のーきー」などとそれっぽくいっていたとか。
#驚き桃の木山椒の木
非常に驚いたり、大変びっくりしたりした様子。
付け足しことばとして、いくつかあるようです。
「ブリキに狸に蓄音機(洗濯機)」
「一気に時を渡りきり」
#レチタティーヴォ(伊: recitativo,独: Rezitativ,仏: récitatif,英: recitative)
<クラシック音楽の歌唱で、話すような独唱をいう。多くはオペラ、オラトリオ、カンタータなどの作品で用いられる。叙唱、朗唱と訳される。リート、バラード、演奏会用アリアなどにも付随するが、通常は、個人的な感情の独白や、状況説明、会話などの場面で、アリアなどの旋律的な曲の間や前におく。レチタティーヴォでは、言葉を補助するために音楽が使われ、リズムが自由で、極端な高さの音や繰り返しは避けられる。>