偶然の人生 九鬼周造

続き、、、です。

 

人生の大半など、自分の意思に基づいて選択した結果になっていないものです。偶然によって大きく左右されるのです。

自己責任などと言われることが多くなりましたが、それは、自分が主体的に選択した人生を歩んでいることが元になっています。

実のところ、選択をしたつもりでも、かなりの狭められたなかで、大した考えもなく、自動的のように決まっていった、という人が大部分ではないでしょうか。まあ、それも選択ですが、、。

 

◯親ガチャとイキ

「いきの構造」で知られる九鬼周造は、偶然性について、述べています。

自分が存在するのは、偶然だと言うのです。

一言で言うと、「親ガチャ」です。

このことばは、親への責任転嫁で使われていますが、偶然性を意味するものとも捉えられるでしょう。

となると、

自分が相手であったかもしれない可能性に気づくこと、

つまりは、相手の身になって考えることになる、

そうありたいものですね。

 

 

 

#九鬼周造<(くき しゅうぞう)哲学者。著作は、『偶然性の問題』、『「いき」の構造』、『人間と実存』など。京都帝国大学文学部哲学科で、デカルトベルクソンをはじめとするフランス哲学や近世哲学史現象学を中心とした現代哲学などを教えた。1929年に京都帝国大学講師に就任、1932年に博士論文「偶然性」を提出し京都帝国大学文学博士の学位を取得、1933年助教授、1935年から西洋近世哲学史講座の教授となった。ヨーロッパの長期滞在の中で、日本の美と文化に惹かれていく自分に気づいていった九鬼は、パリでのちに『「いき」の構造』として発行される草稿を完成(1926年)。帰国後、「いきとは、垢抜けして、張のある、色っぽさ」の言葉のある『「いき」の構造』(1930年)を発表した。これは、日本の江戸時代の遊廓における美意識である「いき」(粋)を、現象学という西洋の哲学の手法で把握しようと試みた論文。(Wikipedia抜粋)>