ワールドカップの初戦勝利、それにも増して、世界中の日本の観客や選手のマナーへの賛辞を報じる記事が多く、日本人として誇らしい、
と言いつつ、そんなに褒められることを集めたいのか、
まあ、集めたいから読んでる私がいうのもなんですが、、。
渋谷で青信号のときだけ騒ぐって、褒められてるのでしょうか。
清潔好き、掃除好き、時間、規則厳守、同調圧力?、
掃除好きで、ドイツも片づけたのですから、いいか。
◯問いを立てない日本
「戦争になったときに進んで戦うか」
という問いに対して、肯定する日本人は、他国に比べ、最も少ないそうです。
まあ、予想がつくことです。しかも、「NO」ではなく、「わからない」という答えがとても多いのです。
この国では、「こんな不吉な問いをするな」と批判されそうです。「二者択一を迫るな」と。
で、きちんと向き合って、考えていかないのです。そうしてきたのです。
言霊、まさに日本人らしいです。
◯日本の歴史的断絶
日本では、第二次世界大戦の敗戦で、その戦死者の思いを継ぐことを否定されました。国のために死んだ人たちを、その目指したものを自ら、否定してしまったのです。
そこで、日本では、歴史上、稀に見る大きな断絶が、ここに生じたわけです。つい、77年前です。ある意味で、どの時代の変遷より、大きなギャップとなったように思えてなりません。
◯「過ちは繰り返しませぬ」
たとえば、原爆を落とされたところに、不法に大虐殺された地の碑#に「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから」と刻みました。
終戦後、7年目です。
私が戦死していたら、「過ちとはなんだ!」と怒鳴りそうです。
戦争はしない、核は使わない、など、そこには、大きな意味がありましょうが、また、その後、戦争を放棄した、ともいえないのですが、戦争犯罪は犯さずにきましたが、
まさに日本人らしい、
日本人以外ここまで、ばさっと、父や兄、あるいは身内で戦死した人のそこまでの思いを断ち切ることはできないでしょう。
◯靖国参拝
靖国神社の公式参拝#の問題は、そこまでの戦死者を英霊として弔うのか、敗戦で学んだことを否定するのかとなります。そこで、死者を切り捨て、戦後、日本人は生きてきたともいえるのです。
中国、韓国との協調のために、さらにそれらをむげにしたのかもしれません。その割に、うまくいっていないのは、どうしてでしょう。
◯祖先と子孫
自分の祖先の歴史を尊重しないのは、死んだ後、将来世代のことを考えないことになりかねません。まさに、今の日本です。親を大事にしなかった親が、自分の子に自分たち親を大事にしろと望んでも無理でしょう。
地政学的な問題とともに、歴史の時間軸です。どちらも、日本は無視して、先行く欧米しか見てこなかった、今も、その支配下におかれているのです。
祖先と子孫をどのようにつないでいくかは、大切なことです。当然ながら、子孫のことを考える方に重点をおくべきでしょう。
#碑文 趣旨は、原爆の犠牲者は、単に一国・一民族の犠牲者ではなく、人類全体の平和のいしずえとなって祀られており、その原爆の犠牲者に対して反核の平和を誓うのは、全世界の人々でなくてはならないというものです。つまり、碑文の中の「過ち」とは一個人や一国の行為を指すものではなく、人類全体が犯した戦争や核兵器使用などを指しています。(中略)
碑文は被爆者や広島市民だけではなく核兵器廃絶と世界平和実現を求める全世界の人々にとって祈りと誓いの原点であり続けています。今日では、碑文に対する疑問の声はほとんど聞かれず、本市としては碑文の修正は全く考えておりません。(広島市民局国際平和推進部平和推進課)
#靖国参拝
終戦の日に、歴代内閣総理大臣では三木武夫、福田赳夫、鈴木善幸、中曽根康弘、小泉純一郎が参拝している。また閣僚、超党派議員連盟のみんなで靖国神社に参拝する国会議員の会などによる参拝もなされている。