fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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貧乏と貧困 チェンバレン

◯貧困の悪循環

なぜ、お金のない人からお金を巻き上げるような貧困ビジネスが成り立つのでしょう。

貧困である人は、お金に無頓着な人が多いからです。使い道を計画的に考えたり、チェックしたりしないので、貯まらないのです。引き出し手数料や分割手数料など考えず、リボ払いなどにしたりする。利子を考えず、利払いで擦る。自販機で高く買う、コンビニで買い物する。衝動買い、ギャンブル、風俗、ブランド品や嗜好品などから抜け出せない人もいます。

 

金持ちにケチが多いのは、そこをきちんと計算して始末しているともいえます。

一方で、貧乏を豊かな生活で楽しんでいる人もいます。貧乏がなんら悪いわけでも恥じることでもないのです。年収や資産でいくらとか言っても、本当の豊かさとは、異なるものです。

 

ただ、何かのきっかけで、お金がなくなると判断力が鈍るのは、確かのようです、お金のことで頭がいっぱいになってしまい、つけ込まれ騙されたり、損をしたりしやすくなります。行き詰まった経営者などや自己破産直前の人などが陥りやすいパターンです。知らずと詐欺や貧困ビジネスで搾取されるのです。

 

◯貧乏と貧困は違う

「貧乏は存在するが、貧困なるものは存在しない。」

これは、チェンバレン#のことばです。

明治維新前後に日本に来た外国人は、欧米の大都会の労働者が、人間の尊厳が否定されるほどの絶望、人生の敗者を思わせる不幸の表情をしているのに対して、貧乏な日本人の表情の明るさに打たれたようです。

日本人は、貧しく乏しかったが、貧しくても困っていない、つまり、貧困ではなかったのです。

 

◯消えゆく質素と清貧

明治政府は、欧米を追って、富国強兵と殖産興業で、貧富の差を拡大しました。

それから、震災や戦争などいろいろありまして、130年後、令和になり、新自由主義をきっかけに、中間層、中流と思っている層を没落させていっているのです。

 

「貧乏は状態で、貧困は解釈」と、聞いたことがあります。

戦後の日本は、そうだったのです。戦前も、いや、文明開化までも、ですね。

つまり、ずっと、です。ただ、それは、貧困でなく、質素と呼ばれるものでした。

 

戦後は、食べるものもモノもなかったところから、10年ほどで立ち上がったのです。日本人の、その世代、どこの時代の奴隷よりも、よく働いたのです。

人生での労働に比べ、大して見合わない賃金で、喜び、コツコツと貯め、家庭を持ち、家を建て、財を築き、亡くなっていったのでしょう。

そういう人たちに「清貧の思想」がヒットしたのは、1992年、バブルへの反動でした。

私の両親の世代です。大正から昭和一桁生まれの戦中派にあたります。

 

それに比べて、今は、貧乏でないのに貧困ともいえます。年収200万円といっても世界平均では、上位でしょう。

先述したように、日本もアメリカ社会を追いかけたため、同じような貧困問題が突きつけられているのです。金がなければだめだ、という価値観がはびこったのです。

長屋とか近所の人が子守りしてくれたのが、ベビーシッターを時給で雇わないとならなくなったようなことです。無償の支え合いを資本主義は商品化してしまうのも、先述した通りです。

 

 

#バジル・ホール・チェンバレン(Basil Hall Chamberlain, 1850 - 1935)

イギリスの日本研究家。東京帝国大学文学部名誉教師。明治時代の38年間、日本に滞在。アーネスト・サトウやウィリアム・ジョージ・アストンとともに、日本研究家の一人。俳句を英訳した最初の人物の一人、"Things Japanese"(『日本事物誌』)や『口語日本語ハンドブック』などの著作、『君が代』や『古事記』などの英訳、アイヌ琉球の研究で知られる。

「金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。ほんものの平等精神が(われわれはみな同じ人間だと心底から信ずる心が)社会の隅々まで浸透しているのである。」(「日本事物誌」)

                 

#「清貧の思想」著者は、中野 孝次(1925- 2004)、ドイツ文学者、評論家。元國學院大學教授。