fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

家制度の崩壊 選択的夫婦別姓

◯一門一家

日本の家制度♯は、儒教の教えもあり、先祖につながる母体でした。

家は継承するもので、家族は離散してはいけなかったのです。

家の体面を大事にし、家が繁栄すれば、誉れとなりました。ですから、お家の断絶は、なによりものタブーでした。

一門の誉、家を傾ける、一家言、一家を成す、お家芸、女三界に家なし、うだつが上がらないなどの言葉でもわかるように、家の制度に縛られて生きていたのです。

明治期から,そうした家制度と崩壊をテーマにした作品は,多かったですね。「夜明け前」「それから」「和解」、。あ、森鴎外も、、。

 

◯家父長制の名残

日本では、男性の氏の継承という形で、家制度、家父長制の影響は、まだ根強く残っています。

選択的夫婦別姓に反対する人の中には、国のあり方が変わるから、という論拠がみられます。この問題は、国の持続が子孫に関わることだけに複雑なことだと思うのです。

 

女性は結婚すると家に入るという意識も残っているでしょう。結婚すると夫婦は、新しい戸籍をつくるのに、入籍といっているわけです。

明治民法では、妻が働くには夫の許可が必要で、妻が得た収入や持参金などは夫に管理されました。結婚後の女性が子どもができなかったら実家に帰されることもありました。

今から見るとひどいことでも、その時代,やむを得ない事情で定められてきたことも多々、あるのです。でも時代が流れ、生活が変化すると、生き方、考え方も変わっていくものです。

 

◯対等ということ

憲法で求められたのは、対等な夫婦を中心とする、話し合い家族でした。

しかし、戦後も長らく女性の働く場は、閉ざされていました。

高度成長期も、むしろ性別役割分業は固定化されました。夫はサラリーマンで年功序列、終身雇用の下、夫の稼ぎで家族が養えるようにされました。女性は社会に出ても寿退社、結婚で専業主婦。男性が仕事、女性が育児を担う分担がモデルとなり、理想ともされたのです。

とはいえ、多くの社会で、こうした性別役割分担は、例外はありますが、戦い稼ぐ性と産み育てる性として、古来,慣習化していたものです。この区別と差別とは微妙なところがあり,簡単には分けられません。

 

近代の市民社会となると、経済的に自立できなければ立場は弱くなり、対等な夫婦関係を実現するためには、社会制度として変える必要があったのでしょう。

それが産業構造の変化だけではなく、日本の停滞、少子高齢化労働人口の減少や共稼ぎでないと食べられないことで,女性の働く場ができてきたのは,皮肉なことです。戦争が女性の社会進出のきっかけとなったのと似ていますね。

とはいえ,過渡期ですから、女性もですが、育児休暇を取りたいと思う男性のほうも大変なのです。

 

 

♯家制度  1898年(明治31年)に制定された明治憲法下の民法において規定された日本の家族制度であり、親族関係を有する者のうち更に狭い範囲の者を、戸主(こしゅ)と家族として一つの家に属させ、戸主に家の統率権限を与えていた制度。この規定が効力を有していたのは、1898年7月16日から1947年5月2日までの48年9か月半ほどの期間であった。(Wikipedia)