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篠田桃紅さんの生き方  ファデラー選手引退

ファデラー選手引退

ファデラー選手41歳で引退です。 24年1500試合,お疲れ様でした。

男子選手四大会成績

1位    22勝    スペイン  ラファエル・ナダル

2位    21勝    セルビア  ノバク・ジョコビッチ

3位    20勝    スイス      ロジャー・フェデラー

4位    14勝    アメリカ ピート・サンプラス

5位    12勝    オーストラリア    ロイ・エマーソン

6位タイ11勝    オーストラリア  ロッド・レーバー 

       スウェーデン   ビョルン・ボルグ

 

 

◯「これでおしまい」篠田桃紅 (講談社)

昨年,107歳で亡くなってから一年半、今年も展覧会がオペラシティで6月まで開かれていました。

女流アーティストとしての自由の思想、生涯現役を超高齢まで貫いたことの精神性に惹かれて読んだのですが、むしろ、当時の日本のエリート家庭の環境と教育、生活が興味深かったです。

徳川幕府の教えを受けつつ、明治維新後の新しい時代に合わせていく父親とその家庭生活、作者の幼年期から女学校、そして、アメリカに渡り考えたこと、明治から昭和、さらに令和まで生きた大変動の時代の個人史です。

 

新しい墨の造形を試み、その作品は水墨の抽象画=墨象と呼ばれる。

2015年、『一〇三歳になってわかったこと』が45万部を超えるベストセラー。

2021年3月1日、老衰のため、東京都青梅市の病院で死去。107歳。

 

大正2年満州の大連、ジョサイア・コンドルの設計した元ロシア帝国の家で、三男四女の五子として生まれ、満州子(ますこ)と名づけられます。

5歳で雅号を桃紅とした、その父は煙草会社の支社長。父は、休日、漢詩を作り、書を書き、印を彫り、謡に親しみ、庭の作庭、季節のしつらいなどをしました。

関東大震災で、和装が洋装になります。9月1日に関東大震災で、もう9月に洋服屋が学校に来て、木綿地が生徒に渡され、お母さんたちが縫って洋服にしました。シンガーミシンを買い、家に西洋人がミシンの使い方を教えに来たそうです。

大正デモクラシーでモダンガールにならなくてはいけないと思い、ホットケーキの製粉会社の社員がつくり方を教えに女学校に来た。上等舶来という言葉があったのです。

しかし、その後、日本は、反動的に国粋主義になり、ハイカラなどととんでもない、英語は国賊語になるのです。

 

日本の家屋は、障子でスカスカしていて、炭火で一酸化炭素中毒にならない。

着物は、包む、洋服は入れる。人間が入っていく。

着物は人間に対して謙虚、洋服は人間を規制している。

着物はどんなに太っても痩せても同じ一枚で済む。

1956年渡米、アメリカに乾いた空気は、墨に合わないと思ったそうです。

 

◯発言より

「自由と言うのは、自分と言うものを立てて、自分の責任で自分を生かしていくこと、自分の行動を責任持って考え、自分でやる。自らに由ると書く。」

 

二河白道(にかびゃくどう)「火の河と荒ぶる水の河のあいだに一筋、白い細い道がある。それを見つけて生きるのが人生であるという比喩。自由奔放に生きれば火に落ちて火傷する。石橋を叩いてばかりだと荒ぶる水の河にさらわれる。人間はどちらの河にも落ちやすい。」

 

「人って、自分で自分に迷う道、迷路をつくって生きている生き物よ。迷わない道をつくればいいのに、みんな、迷う道ばっかりつくる。つくるっていうことが迷うってことなの。」

「絵というのはつくるものじゃなくてできるものなの。できてみて初めて、ああこういう作品ができたって思うの。」

「歳を取って、だんだんと腕力で引く線の力は薄らいで、線に込める心の部分が出てきている。」

世迷い言

年甲斐

「さばかりのことに死ぬるや。さばかりのことに生くるや。よせよせ問答」石川啄木

「縁なき衆生は度し難し。」釈迦

「親の意見と茄子の花は、千に一つも仇はない。」