fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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政教分離と広告灯

◯旧統一教会と政治家

岸田政権、支持率低下。安倍晋三氏への凶弾後、政治家の教団との関わりへの不平も一因でした。「わかりませんでした」「知りませんでした」「関わってしまっていました」、、政府は、「議員自らが説明責任を果たすべき」と、いつものように逃げました。

調査する権限を使い、よくないことなら、規制する法律もつくれるでしょう。それに関わった政治家は、まずいなら「縁を切る」と明言することです。一方、今に問題ないというのなら、「問題ない」と反論すべきでしょう。

2007年公安調査庁の報告書まで、特異集団とされていた用語も使われなくなり、統一協会の名称変更を下村博文氏が文部科学相だった2015年に認め、先の参院選の公示直前には、生稲明子氏と萩生田光一(当時の)経済産業相は、教団関連施設を訪れています。

こうした関係があるのに、旧統一教会が問題のない宗教団体であることを示さず、何も言わないのは、そうでないこと示すことにもなるのですが、、、。

言うまでもなく、国の防衛に関わる要職のある人が、他国の宗教の広告灯のような役割を果たしたら、まずいでしょう。

 

◯政治と宗教

政教分離とは言え、宗教団体や関係者が、どこかの政党を応援するのに問題はありません。また、政治家が自分の信念で宗教に関わり、その会合やイベントに参加しても構わないのです。

ただし、相手が、宗教を装ったような反社会的団体であれば、その違法な行為を助けるようなことをしてはいけない、つまり、この点だけの判断なのです。

まあ、世間一般の感情としては、納らないのでしょうね。

 

◯情報スルーと民主主義

マスメディアや一般の人たちは、過去にさかのぼって、一方的な思い込みで非難するから、黙ってスルーして時間を流すというのが、ネット社会においての常套手段です。何かを言うと、どこかの一言だけが切り取られて繰り返し流され、イメージを悪くして炎上しかねないからです。言質を脈絡もない違う意図で利用されるからです。

それに乗っかるメディアも私たちも程度が低いということですが。

 

サービス業では、何かがあると、事実確認や反論でなく、すぐに謝る、嘘をついたり隠したりするなら番外ですが、事実が違っていても、そうした情報提供せずに済ませ、蒸し返されるのを避けることもあるようです。個人なら、無言で関連情報やアカウントを消滅させるのです。

 

政治では、意図的に、調査中とか情報が見当たらないとして、時間を稼ぎ、うやむやにしてしまうような傾向が強まったように思うのです。真実の追求でなく世論との駆け引きです。

それは民主主義の根幹を揺り動かすものです。

安倍政権のへまの尻拭いで、結果として仕上がったマニュアルです。

 

それゆえに、私はこれまでも、話題をスルーをしていくSNSのコミニケーションでも疑問を呈してもきたのですが、情報のやりとりが多いと、そうならざるをえないのでしょうね。

しかし、公のことにおいて、同じでよいはずがありません。

何が重要かを見極めず、事実や本質を追求もしないうちに、流言が行き交うだけ、それは大問題なのに、まるで私事と同じように扱われていく、話題として消費されていく、

教団が儲け、政治家に献金や労力提供して、政治家は教団を宣伝する、まるで、ステマみたいなものなんですけどね。

 

ステマ=ステルスマーケティング