毎日、いろんなことでごちゃごちゃするのが続くと、落ち着いた1日、変わらない日々が欲しくなります。しかし、同じような毎日が続くと、違う1日、異なる日々が欲しくなります。ずっと東京にいると、旅に出たくなり、ずっと旅に出ていると、家に帰りたくなります。
人間、身勝手なものだと思います。
月に3回地方に出張、2ヶ月に1回海外に出張、東京には10日、仕事をするというようなノルマを自分に課していた時期があります。15年くらい実践して、その自己束縛から逃れました。
最初は、海外の100カ国に行こうと考えたものの、50カ国超えたときに、急に、「何のために?」という自覚とともに目標が消えたのです。
家のドアを出る時、成田のゲートをくぐるとき、「また帰ってくるのか」と、、、。
大体は、向こうの国に着くと、気分が晴れて、「やっぱり来てよかった」となったのですが、だんだん、義務感が重くのしかかってきたわけです。修行になってきたのです。
純粋に、何でも新たに出会い、経験して見聞を広げかったのだと思います。
そうしようと思ったのは、週の半分をスタジオで15時間ほど過ごす日々が10年ほど続いていたからで、その反動から、そうしたノルマを自分に課すようにしたのだと思います。
今となると、そうした外部環境の見聞より、自分の内部環境での出会いや経験の方が、中心となりました。出かけるとか出かけないでなく、どこにいても変わらないから、いろんなところにいます。
ただ、なすべきことをなすのです。外の変化より、内部の変化に興味を持ち、そのために外に関心を広げることになっています。
通信技術のおかげで、場所には限定されなくなりました。海外や地方に行くために仕事がストップしたり、モデムの接続で苦労したりすることもありません。しかしコロナ禍などで移動がめんどうになっています。自由に変わることは、いつの時代も不自由なことですね。
◯変化を好む
なぜ人は、変化を嫌うのでしょう。
それは人間だけではありません。生物は、皆、環境の変化を嫌います。
それは、これまで、そうして適応して生きてきたからです。
これまでの状態が続く方が、生き続けることができることが刷り込まれているからです。
変化は、大きな敵ですから、それを避けるように、今までの状態を守るほうに、
生きていくための脳が指令するのです。
ですから、変わりたいのであれば、相当の意識変革が必要です。
どんな変化も肯定的に捉え、喜んで受け入れようとしなくては、難しいです。
歳をとると弱っていくので、なおさら変化を嫌います。
体調の悪いときは、じっとして動きません。とても新しいことに挑戦しようとは思わないでしょう。それは自分の身体を守るためです。
だからこそ動けるときに動き、考えられるときに考え、挑んでいく姿勢を持っていなければならないのです。
人間だけが、まわりの状況や環境を変えていけるのです。
それはよい点ばかりではありませんが、
それゆえに、まわりの状況や環境がどのように変わっても、生きていけると捉えるとよいと思います。