◯昭和を投げ出そう
「もはや昭和ではない」と、「男女共同参画白書」♯で述べられていました。
このフレーズ自体、昭和の「もはや戦後でない」♯をパロったものですが、
それは「経済白書」のなかで、でした。
それが、個人にまで、バラけた結果を表しています。
主意は、女性の地位向上、男女平等社会づくりです。
このフレーズからは、それを妨げるのが、
高齢者の昭和の成功体験意識を引きずる言動というように
なってきたのが伺えます。
「まだまだがんばらなければいけない」と
頑張っている高齢者が妨げになっている例は、確かに少なくないようです。
「まだまだ任せられない」と言いながら、
利権とはいませんが、これまでしがみついてきたものを
生きがいと思い、離さない、離せないのです。
それは本人に必要なことかもしれませんが、
いろんな世界があるのですから、ここらで転身しましょう。
その結果、日本はこうなったのです。
昭和の最後は失敗し、その後、平成で取り戻せなかった、
今の高齢者が、管理職や役員、つまりリーダーになったところから
日本は停滞し、相対的には落ち込んでいったのが、事実です。
だから、「もはや平成でない」と言われないのです。
そこは、スルーされるくらいのものだったのです。
なのに、昭和の意識を引きずるな、ということでしょう。
◯エピソード
そういえば、ある学会に招かれたあとの食事会で、私の年齢を聞いて、驚いたのか?
結構な幹部が、「じゃあ、阿部定とか知らないでしょうー」と唐突に切り出した。
酒がまわってきた頃ならともかく、まだ乾杯後、、。
「これかあ、昭和のままに生きる高齢者って、、」
オズモンドの昨年のM -1グランプリのネタの「これが(友達)ゼロかあ」
まさしく驚嘆、伊藤さんのツッコミのような気持ちになりました。
阿部定って、戦前のできごとですから、リアルに体験してないのは同じだろーって、
その40年後の大島渚監督の映画、こちらは確かに未成年でしたけど、それがなにかー?
若いとかでよく驚かれたのは、随分、昔でしたから、懐かしくもあったのですが、
「はあっ」とため息でスルーするしかありませんでした。
これを読んでいらしたら、そういうツッコミ気分でしたので、参考まで。
こういう私の寛大さが、ダメなのかしらね、。
◯死は進化の始まり
誰もが大きく変わらなくてはならないのです。
高齢者も例外ではありません。
ほっぽりだして、任せたら、
任された人は、なんとかするものです。
その力を信じればいいのです。
もし彼らが何もしなければ、それは高齢者に、ではなく
本人たちに戻ってきます。
そして、そこで学べます。
人間はいずれ死んでいくものです。
次の世代に未来を任せていくものです。
この大きな生命原理に逆らえないのです。
人生から考える死は、終わりでゴールのようですが、
生物の歴史から見ると、死と言うのは進化の始まりです。
生まれるのは偶然で利己的、死ぬのは利他的で公共的です。
小林武彦氏 (「世界一受けたい授業」6/18)
死のうとは言いません。死して生きるための転身の提案です。
楽隠居、あるいは人生の転機を活かすことのお勧めです。
♯もはや昭和でない
「『もはや昭和ではない』、、、人生100年時代を迎え、女性の半数以上が90歳まで生き、離婚件数は、結婚件数の3分の1に上り、50歳時点で配偶者のいない人の割合が、男女ともに約3割に達するなど、家族の姿や人々の人生が大きく変化・多様化した実態をエビデンスに基づき明らかした」
コロナ禍で、婚姻件数は、戦後最少。50~60代女性の約2割は離婚経験。
2020年の調査では、30歳時点での未婚割合は、女性が4割、男性が5割。
「配偶者、恋人がいるか」では、未婚で、いないと答えた20代の女性は、約5割、男性は7割近く。
デートした人数がゼロだと答えた独身の20代女性が25パーセント、20代男性は、40パーセント。
年間所得、働いている単独世帯所得が300万円未満は、男性が約3割、女性が約5割。単独世帯以外も、女性の所得は200~299万円に集中
仕事かつ結婚もしている女性の約6割は、年間所得が200万円に満たない。
参考までに、昭和のど真ん中で、団塊の世代が小学生の頃の日本では、
1955年、GDPが戦前の水準を上回り、戦後復興期から高度成長期へ。
朝鮮戦争による特需。
冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが登場、大量消費社会が到来。
1956(昭和31)年7月17日、政府が経済白書で「もはや戦後ではない」と宣言。
(Wikipedia抜粋)