◯バラエティの表現
お笑い芸は、芸であり、俳優が殺す人や殺される人を演じるのと同じです。
ドラマもバラエティも、ドキュメンタリーでさえ、日常のそのものではないのです。
ーって、こんな説明いるのでしょうか。
熱湯風呂やケツバットくらいのお笑い芸が、よくないなら、マジックや曲芸も、アスリート競技さえ危険です。アクションシーンも、でしょう。
バラエティーなら、大食いも、無理がかかっていますね。「ドッキリGP」となど、けっこう危ないでしょう。
どれもが視聴者に真似されるリスクはあります。その前に出演者本人に危険なことさえありそうです。
スポーツでも同じ、スケボーもパラクールも、ですね。
プロレスごっこが問題になったこともありました。
アスリートが勝負に負けるのは、結果ですが、内容までよくないと、観る人は離れ、放映もされなくなっていくでしょう。
そこでなんやかんやいわれるのをどうするのかとなると、本人が強くなるしかないのです。
ただ、それを視聴して楽しみたいのなら、中傷や非難など、当人やその周りに迷惑かけるようなことをしないことでしょう。
◯お笑い芸人の仕事
言うまでもなく、人権侵害、ヘイト発言などは、禁じられます。。
でも、ハリセンやセンブリ茶など、あるいは罰ゲームは、芸人には見せ場でおいしいところです。
お笑い芸人ですから、笑わせるのが、仕事です。いかに笑わせるような意図を感じさせずに笑わせるから、芸です。
アホなフリを悟らせず、アホに見せるのが、芸です。本当にアホな人にはできないことです。
◯消されゆくディオニソス的なもの
確かに身体を使わなくても、別の形でも、笑いをとれるでしょう。
でも、身体を使う芸は、プリミティブゆえにおもしろくて、どこでもいつの世もあって生き残ってきたのです。祭りや芸能と同じです。時代を超え、世界共通に通じるものでもあるのです。
そうして、人々は、日常生活でのストレスをストレートに発散してきたのです。
それを誰かの不快感で、排除するのは、どうなのでしょう。
本当にくだらなくて意味のないものは、おのずと消えていくものです。
人気があるものは、少なくともその時期、何らかの必要性を満たしています。
それで嫌なことや辛いことを忘れ、明日へのエネルギーを得て、救われる人もいることを考えるべきでしょう。
こういう目に見えない大きな力を見ずに、見えやすいところだけ見て、切り取るようなことが行われるのは、よくない風潮と思います。
文化や芸術の芽も摘みかねません。
ただでさえ、新しいものを受け入れるのは好きでも、創り出し育てるのは、苦手な日本国民です。
エネルギーといえば、新電力会社104社がもう撤退、いくら想定外の事態といえ、生活の必需品の電気の調達では迷惑この上ない、こんなに簡単にビジネスモデルが壊れて、国も見て見ぬふり、皆、二度と大手の会社から離れようとしなくなるでしょうね。起業する気にも水かけ!