fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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お笑いのことば 生活のことばと方言

上野に久々にいきましたら、公園口の道路がなくなり、大きく変わっていました。

散策していたら行列がありました。『木梨憲武展 Timingー瞬間の光りー』上野の森美術館でした。喫茶去でお茶。

スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち』展、東京都美術館で鑑賞。

ラファエロエル・グレコ、ベラスケス、レンブラントブーシェ、スーラ、ルノワールに加え、ゲインズバラ、レノルズ、ターナー、ミレイといったイングランド出身の画家、レイバーン、ラムジー、グラントとかのスコットランド出身の画家の作品。

ポール・ゴーガンのが素朴で好きですね、以前は、ゴーギャンと表記してたのに、、。ことばも風景も常に変わっていきます。てなことで、、。

 

◯お笑いのことば

お笑い芸人の使うことばは、標準語ではありません。

お笑い芸人は、お笑いの芸を通じて、のし上がっていったのです。

笑わせるときに、日常生活とまったく異なることばを使ったら、聞いている人は笑えません。

だからこそ、テレビのおいても、放送の言葉ではない庶民のことばを使うことが許されてきたともいえます。

アナウンサーの言葉、口調が、お笑い芸に向いていないのを想像したらわかるでしょう。

最近のアナウンサーには、フリーになったりして、バラエティータレント化してきていますが、もともと、アイドル、タレント向きの人も多いのでしょう。

 

◯漫才からMANZAIのことば

漫才は、元々、映画やドラマのように、脚本家の台本を演じるものでした。しゃべくり漫才になっても、放送作家の書いた台本を演じていたのです。つまり、歌謡曲の歌手のように、分業していたのです。

それが、漫才ブーム以降、自分たちでネタを作って笑いをとるようになっていきました。歌手でいうと、シンガーソングライターです。そこで使われることばは、それまでの放送の言葉でなく、自分たちの生活でのことばそのものでした。

 

1980年代の漫才ブームで、テレビ番組のことばは、大きく変わったのです。

東京弁でしゃべる代表は、ビートたけしさんでしょう。その毒舌ことばで、戦後の日本が隠してきた平等、努力、敬老の嘘などを切っていったのです。

元々、お笑い芸は、その身体性に加えて、暴力性や下ネタも含まれていました。彼の芸もまた、ストリップ劇場で磨かれたものでした。

ラジオ深夜放送のパーソナリティたちもまた、こうした点では、ことばの革新に大きな役割を果たしたでしょう。

ところが、今、そこにさまざまな規制がかかろうとしています。

 

◯生活のことば

テレビ番組でも、お笑いは、関西弁を使ってもよかったのです。あと、バラエティ、トーク番組など、笑いをとるもの、ですね。

ヤスシさん、きよしさん、さんまさん、仁鶴さん、、、

竹村健一さんや和田アキ子さんの関西弁も、キャラゆえに許されていたのでしょう。

桂三枝さんの「新婚さんいらっしゃい!」では、カップルに、できるだけ生活のことばで、しゃべらせて笑いをとっていたのです。

お笑いには、生活感や身体性がいるので、標準語では、やりにくいのです。まして、放送のプロでもない一般の人がテレビに出ることが増えてくると、その壁はなくなっていきます。

 

◯方言のことば

「秘密のケンミンSHOW」では、方言がよく取り上げられます。出身県別にゲストがいるので、方言トークが、聞けます。

ドラマも、以前は、時代劇も地域ものも、全国放送では、標準語でした。今は変わってきていますが、方言や当時の言葉で演じるのが、正しいといえば正しいのです。

そこでは、外国語の作品上映と同じ問題が生じます。字幕テロップか吹き替えかのようなことです。それぞれの良し悪しを考えてみてください。

1999年「ナビィの恋」、2001年朝ドラ「ちゅらさん」、、、、

歌手やお笑いは、意味内容だけを伝えるのではないので、比較的、言葉の規制は、ゆるやかでした。

沖縄で、喜納昌吉さんは、歌詞に方言を使いました。ビギンは、「恋しくて」では、使いませんでしたが、「島人ぬ宝」で使います。

河内弁の「カーキン温度」河内家菊水丸など思い出しますね。

「大阪の女」など、ご当地ソングもありました。千昌夫吉幾三、、、。

今は、方言を使うタレント、王林U字工事、カミナリ、博多華丸・大吉など多数。(敬称略)