fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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Z世代と接する人への提言

Z世代に接する人とZ世代の人に提言でまとめておきます。

 

◯年配者へのアドバイス

あなたが年配者なら、Z世代には、どういうことに気をつけたらよいでしょう。

「あなたは、こうすべきだ」と注意するのでなく、ワンクッションおいて、

「私が」とか「私ならこうする」など、自分を主体にして気持ちを間接的に伝えるのがよいでしょう。

情報を提示して、選ばせてあげるのです。提案した形をとるのです。「〜しましょう。」でなく、「〜しませんか。」形だけですが、決めて伝えるのでなく、決めさせてあげるのです。強制感をなくすのです。一方的に「こうするべきだ」とか「こういうことになっている」ような指令は、避けた方が無難です。

対立点を明確にして、論じて相手を説得することも、嫌悪されたりスルーされます。対立を避けるために最大限の努力をしているのが、彼らですから。

その場の雰囲気を崩してしまうだけで心を閉ざされます。「親身ゆえの喧嘩腰から親密に」のような高度なコミュニケーションを仕掛けることはリスクしかありません。もちろん、意図せずに結果オーライになれば大したものですが。ここでは一般論に留めます。

難しいときは、自分で解決しようとせず、気の合う人を介在させることです。

慣習やなあなあのやりとり、その場しのぎは、好まれません。案外と理論っぽいのです。

欧米人のように契約などには、慎重で法にも忠実です。ただ、欧米人のような自己主張や交渉力がない分、問題が顕在化せず、厄介なことになりやすいです。

 

こういうことを面倒だと思うなら、社内なら留学生のように、社外やビジネス以外の関係なら、まずは海外の旅行先での同乗者のようなつもりで接するといいでしょう。

 

◯Z世代へのアドバイス

Z世代の特徴を並べてみると、上の世代から、しらけ世代♯とか三無主義とかいわれた私の世代もこんなふうにみられていたと重なるところもあるように思います。新人類とかジェネレーションXとかともいわれたので、X世代か?この分類、諸説あります。

若さ特有の、無駄で無理な欲や熱が、過剰に体を動かすことが、なくなってきたんでしょうね。

かつてとの違いは、少なくとも私たちは、いや私でさえ、年配の経験者の体験は、本の知識や情報と質の違うことを知り、傾聴したきました。その専門分野においての知見には敬意を払い、ときに追いつこうとしてギャップの大きさを知っていきました。その芸や作品の深みに魅かれ、生きるモチベーションとしました。一人の人間の生涯に成し得ることの質、量、深さに感銘を受けてきました。

そして、同じ知識より同じ経験以上のものを欲したのです。頭でシミュレーションせず、前例に囚われず、まずは実践でした。そうした無理なチャレンジの回数やその無駄や失敗の大きさ、回数が違うようです。今のように情報があればしなかった、いやできなかったことばかりをしてきたようなものです。

自分の人生というのは、そうした人々との出会いや刺激、さまざまなハプニングや痛手、他の人が経験していない特別な体験などの集積に思うのです。いわば、無駄、無理、無謀。

 

若いときに、頭が合理的に体が効率的に働かないうちにこそ、勇気をもって、思ったことを思うように行動してください。まわりを慮らず、無茶をして失敗する体験もたくさん積んでください。それを乗り越えて自信をつけてください。

目の前の人を肩書きや情報で判断せず、そういうもの以外に学ぼうとしてください。

 

オイルショックが起きて高度経済成長が終わり、学生運動が衰えると、一つの時代の終わった無力感を背景に、「シラケ」という言葉が若者の間で流行し、「無気力・無関心・無責任」の三無主義(後に「無感動・無作法」を加えて五無主義ともいわれた)を中心とする風潮が見られた。何をしても言っても「しらける」「しらけた」を連発し、冷めており、政治的な議論には無関心になり、一種の個人主義に徹する傾向が強くなった。(Wikipedia抜粋)