『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』を20年ぶりくらいに観ました。
1997年公開のアメリカ映画。天才的な頭脳を持っているのに、幼少期のトラウマから逃れられない若いウィルと、妻に先立たれた心理学者との友情です。
ハーバード大学在学中、無名の俳優であった主演のマット・デイモンが執筆した脚本。ウィルをマット・デイモン、ショーンをロビン・ウィリアムズが、演じています。
公開当時は、いい歳して、まだ若き主人公に感情移入して見ていました。ウィルがショーンから、お前はガキだ、などと怒鳴られるのが、突き刺さるようにも感じたものです。
ウィルは、ハーバード大学の女学生スカイラーとの恋などを通して、将来を模索し、自分の道を決めていく人間へ成長していくのでした。
でも、今回は、年相応に、フィールズ賞受賞者でMIT数学科教授のジェラルド・ランボーやセラピストの大学講師ショーンの側から見るようになっているわけです。
「歳をとるとは、こういうことかなぁ」と思います。そういえば、昔は自転車なども止めるギリギリのところで降りていたのに、今は3歩位前のところで降ります。「年寄り臭いなぁ」と思っていた行動を自分がとっているのに気づきます。まるで自然に円熟?していく。そのうち、人とすれ違うまえに自転車を降りるようになるんでしょうね。
信号を守るようになったのも、時間的余裕ができたり、大人になったからでなく、「そういうことなんだなぁ」と、気づいていくわけです。無駄な冒険を避け、安全第一です。これも一種の悟りですね。
さて、話を戻すと、
若造がわかったようになったつもりで見える世界などは、本当にちっぽけなもので、この世界は、自分なんかが思いも及ばないくらい、広くて大きいし、深い、そのことを知るのです。
若さは、無知で傲慢で不遜なのです。でも、わからないから行動できてしまう、それが若いということです。背伸びして、大人になっていく。わかった気にならないと、がむしゃらには動けないのです。当然のごとく、間違え失敗し恥をかいて、体験として身に染みていくわけです。
今となると、わかってしまうし考えられるので、やらないことやできないことがたくさんあります。
毎年、同じところで、桜を観ます。歳をとるとは、いとおしいことだと思います。人生の残りを考えたときに味わい深くなる、あと、何回みられるのかと。何百年も花を咲かせる木の前で考えるのです。若いときには、いつでもいつまでも、それが手に入るように思って、新鮮な驚きだけで通り過ぎていったことが、です。
それでは駄目やん、と、新しい名所に足を運びます。
今年は、河津桜と仁和寺駅に挑戦しました。早咲きと遅咲きの名勝です。御室仁和寺近くの御室とは、オムロンの由来、立石電機の発祥の地で、その記念碑もあります。宇多法皇の御室御所からきています。
一般的な理解などはないのです。飛び込んでその中に身を置いて、自分の全ての存在をかけて、実際に体験しなくては身にはつきません。
そこを経ていない人に、こうしたことを説明するのは、難しいことです。
家を出て、旅をしろ、日本を出よ、と言いたいのです。