fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

人生の務めと証 結(ゆい) と文明

文章を書いたり、本を出すこと自体には、あまり生産性がないように思っていたものです。なんとなく男一生の仕事でもないようにも考えていました。かなり若い頃なのでお許しください。

一目で皆にわかり、残るようなこと、たとえば、長いトンネルを掘ったり、すごい橋をかけて、人々の日々の暮らしが一変したなどというのは、わかりやすいですね。死ぬときにも達成感があるような気がしたのです。

 

ピラミッドを作り上げたとき、それは永遠の世界を感じられる。多くの人は完成を見ずに過酷な労働だけで死んだのでしょうが、途中まででも、人生をかけて、自ら運んだものが目に見える形で積み上がって残るのは、それなりに生きた証となったことでしょう。

 

ものを書くことは、歴史に残るような文筆家は別として、自己満足で終わりかねないと思っているわけです。本を出しての印税なども、今となるとありがたいことで、皆さんの施しで生きているわけです。クラウドファンディングみたいなものかもしれません。そこは、ソフトと言うものの弱さかもしれません。

 

 自分1人では、トンネルや橋どころか、電車の車両でも、一生かけて1台もまともにつくれないだろうと思って、いろんなものを眺めると、無力感にとらわれます。

高層ビルを見ると、たかだか100年前には、こんなことは100年かかっても無理だったわけです。

文明の凄さ、人類が力を合わせたときの偉大さに改めて感じいるのです。

タワマンで生まれ育った人にはあたりまえすぎて気づきもしない、初めて3階建てを作った人の大変さに、郷愁のような憧れを感じます。

 

たとえば、白川郷みたいなものですが、あの藁葺き屋根は、ボランティア含め500人でふきかえをしているそうです。合掌造りは、あれで1階建てだそうです。かや8000束を結(ゆい)という相互扶助の共同作業で、村人にボランティアを加え500人ほどで1日で終わらせるそうです。

沖縄では、ゆいまーるが助け合うの意味といいます。結というのは、言い得て妙なことばですね。人の力を合わせるワードです。

 

アウトロー

という意味では、あまり組織や人の力をあてにせずに、1人で、芸人や歌い手など同じように、河原乞食として生きてきて、ホームレスや浮浪者、あまり社会的に認められてないような人に、親しみを感じていたわけです。

身なりが汚れていると汚い人たちの中にも入っていけます。スーツを着て髪型を整えていると、そういうところに行っても受け入れてもらえません。

高級なところにスーツやタキシードで行くときには、全く別の感覚となります。物の見方さえ変わり、人間も変わりそうになります。人間にとって、育ちや環境からの影響の大きさを知るわけです。

海外旅行では、ときにセレブ、ときにプアーと、身なりを変えるだけで、周りの扱いが一変します。円の価値にも助けられましたが、まだまだ、階級社会です。両極を味わえたのは、よい体験でした。

双方を行き来してみて、どちらの社会が心地よいのかとも思いました。ずぼらでめんどくさがり屋であれば、風来坊の方が合っているわけです。

日本もどんどんと、世界の平均レベルに落ちていっているのですね。それは没落と言うのか平等と言うのか、いえ、国でなく個人での格差となっていくのでしょう。私が決して先駆けているわけではありませんが。

 

〇勤勉、修行

アジアやアフリカを回った時に、工事現場で10人ぐらいいても、働いているのが1人か2人で、後の人たちはボーとしていたり、しゃべったりしているのを見て、「日本ではありえない」「日本人は優れている」と、初日、思っていたのも、数日経つと「働きすぎなのかな」となって、「あくせく働くなんてバカみたい」となっていきます。これも環境の影響です。

自分がないのか、柔軟なのか、私のいい加減なところです。

見方を変えると、秒単位で電車の発着時間厳守を極めていくことを維持し続けるのも、修行と思います。そこに想いがあるからこそ、受け継がれていくのです。まして世界の人が賞賛するのであれば、努力のしがいがあり、価値あることの証です。

 

〇持続と務め

人生を修行とか巡業とみると、こうして書いてきて、自分自身も少しずつ変わっていっているのかとも思います。でも50年、100年の人生では大して変わらないようにも思います。

 

一心不乱に何かを続けることによって、偉大なことをなす人がいます。何かを集中して続けない限り、何も起きないのです。

それであればこそ、しっかりと、その日の務めを果たしていく、そのことができる環境には、感謝するしかありません。

 

 

〇編集

誰もが、日々を自分の見方で、世の中や周りの人を編集する作業をしているのです。人としゃべったことも作品としてみてよいでしょう

そこで出会うものは、編集された世界であって、真理や本質そのものではありません。

編集とは、モノの見方です。編集したものをみると意図やモノの見方がわかるのです。

人生において、しばしば編集の方針が大きく変わることがあります。パラダイムが変換されてしまうのです。それは、いろんなことによって起きます。1冊の本を読んで、起こることもあります。ウクライナやロシアについても同じ。

キリないので一度、止めましょう。