fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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 三度目の「坂の上の雲」へ ジャポニズム ドラマ「蔵」

◯「蔵」 1995年放映の再放送を3日がかりで見ました。

自分の意志で生き抜いていく女性を主人公に「櫂」「陽暉楼」「鬼龍院花子の生涯」などを発表してきた宮尾登美子の長編小説「藏」のドラマ番組です。

新潟の造り酒屋を舞台に大正から昭和へ、失明する少女「烈」と支える叔母の「佐穂」を軸に、戦前の日本の社会の「家」を描いたものです。酒造り歌が心地よいです。

物語の後のエピソードがショックでした。昭和11年に結婚でハッピーエンド、12年に跡取りができ、13年に夫は徐州で戦死。戦争で元の木阿弥。

シンデレラは、結婚してハッピーエンド、その後の物語がない、けど人生はそこから。

 

ジャポニズムは、ありのまま

かつてジャポニスムは、事物をただ描くことで、西洋に影響与えたのでした。

私たちは当たり前のように、作品を描くのに無心に写実するのです。

ただそこにある平凡な山であったり、川や橋などが、題材となったのです。

そこに西洋のように宗教的な意味や意図、象徴のようなものはなかったのです。

キリスト教に縛られていないアートだったからです。

それこそが、八百万の神であって、

しかし、欧米人も意識しないにしろ、感じていたと私は思うのです。

だからこそ、西洋人には衝撃だったのでしょう。

 

私は、西洋のガラスに昆虫などを描き、わざわざ容器に浮かせたり入れ込んだりするようなセンスを理解できずにいました。食器に虫ですよ。

ジャポニカ学習帳でノートの表紙から虫を外したのに、8年ぶり、50周年記念に復活したのはよいことと思いますが。

 

〇日本人のイメージ

思えば、私が小さい頃の日本人のイメージというのは、チビで眼鏡をかけてカメラを持っているという、欧米からみたステレオタイプのものでした。

手塚治虫の自画像マンガにカメラを肩から掛けた感じですね。

 

〇三度目の「坂の上の雲

敗戦によって、私たちは自虐的になり、長らく自信をもてなかったのです。

そこから経済的に発展して、自信を取り戻したのは、昭和の半ばからです。

それは、まさにオリンピックで連戦連勝するような高揚感だったのでしょう。

 

そこは、無理矢理、開国させられ、植民地になる危機を逃れ、

日清・日露戦争の勝利で登り切った時代と重なったように思うのです。

司馬遼太郎の言葉での「楽観的な時代」の再来と言うことでしょう。

 

そして、私たちの引き継いだ時代、今、若い人たちは、悲観に満ちているようです。

楽観も悲観も主観ですから、どうせなら三度目の楽観を目指しませんか。