◯命の選択
三が日に放映された番組「第30回FNSドキュメンタリー大賞」に選ばれたTSKさんいん中央テレビが制作した『命の選択~ALSとの闘い~』。
ALSをテーマとした映画やドラマは、いくつも作られています。「博士と彼女のセオリー」「ギフト僕がきみに残せるもの」「1万分の1」「サヨナラの代わりに」「アリスのままで」など。
私は、脳梗塞で倒れ左目のまぶたしか動かせなくなってしまった男の自伝を映画化した「潜水服は蝶の夢を見る」、内容もですが、このタイトルが、今でも印象的です。
ALS(筋萎縮性側索硬化症)もまた、全身の筋力が急速に衰え、喉の筋肉が弱くなり自発呼吸ができなくなっていきます。そして人工呼吸器を装着するかどうかを自ら決めなければならないときがきます。
つけない選択は死を選ぶことを意味し、つければ手足が動かず声を発することはできなくなっても生き続けるのです。
7割近くの人が、その時点で死を選ぶそうです。この時に選ばなければ、どんなに苦しくても自ら死を選ぶことができなくなるからです。
新型コロナウイルスの拡大により、日本、そして世界中が生と死の問題に直面しました。
、ALS患者の嘱託殺人事件が京都で発覚したことも大きかったです。
さらに悪化すると、TLS(閉じ込め 症候群)は、意識は明瞭なのに、総ての筋肉が力を失い、話すことも目を動かすこともできなくなることもあります。
◯運気
何年かに1度、これまでの世界を刷新、あるいは新しい世界を代表するような才能を持って活躍する人が出ます。
そういう人が、何らかの仕掛けでバッとでたのか、地道な努力があってしっかりした基盤の上で才能を開花されたか、その後を見ずとも、それが少しずつ見分けられるようになってきたように思います。
そんな人たちが、いきなり脚光浴びるときや本当に良い作品を残すときを身近で見る機会に、私は運よく、恵まれてきたからです。
若いときは、世間で名の通った人を身近で見る機会によくよく恵まれました。
そして、自分の周りにいるような人たちが、出世をしていき活躍をしていくのです。
ときには悔しくもあったのですが、歳をとるにつれ嬉しく思うようになってきました。自分のすること、しないことがわかってきたからだと思います。ある意味では、それは、自分が思う、自分のできること、できないことということなのでしょう。
何かを行うために必要なことが見えてきて、その代償を残りの人生で払えるかということにもなってきます。
これは、どこの世界でも同じでしょうが、そうでない人はおのずと消えていく、去っていく、諦めたり別のことをやったりしていくわけです。
今、私はまわりの80代くらいの人の元気なのことに驚いていますが、元気でなければ会わないのですから、そういうことでもあるのです。コロナ禍もあり、なおさらです。
死にそうな人、病気療養中の人、社会から閉じこもっている人、次に何かを行おうとしないような人とは、接点がないので、そうなるわけです。
どちらが良いとか悪いとか、成功だとか失敗だとか、幸福だとか不幸だとか、そんなことは、その人が生涯を終えるまで、わかるものでもありません。生涯を終えてもわからないと思います。まして他人が判断することでもないでしょう。
かろうじて言えるのは、まわりが運がいいということは、きっと私も運がいいということです。私のいるところに運気があるということです。
運は伝染するものです。それは、私の力でなく、場の力です。そこから私も力を得ていると思うのです。