あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い申し上げます。
今年は初詣、昨年に比べたらずいぶん並ぶ人が多いようです。
皆さんがこれまで、並んだのは何でしょうか。
プレステ、ウィンドウズ95、ドラクエやファイナルファンタジー、iPhone、、、、
私は並んで買ったという覚えがあまりありません。並ぶのは嫌いです。大体、一周遅れで買います。
でも、三島のうなぎとか八王子のスープカレーとか、昔は絶対並んでまで食べなかったのに、最近は、並ぶことが苦でなくなりました。これは?
〇哲学書への行列
戦後2年も経たない頃、1947年7月19日午前8時、東京神田の岩波書店で7,000冊のうち250冊が販売されるのを待ち、徹夜する人々がいました。
西田幾多郎全集第1巻、発売3日前から書店の前に列ができ、前夜にも200人だったといいます。
哲学者の哲学書ですよ、哲学!
コロナが2年、今こそ「新しい資本主義」などでなく、新たな哲学が必要とされているのではないでしょうか。
昨年のM1グランプリのファイナルの決勝で、審査員の松本人志さんが、1番のバカに入れた、と優勝した錦鯉を讃えましたが、
「人は馬鹿者と言われねば偉くないと言うてある。実に名言である」
てなことで、この日本の哲学者のことばで、スタートしましょう。
「人間の仕事は人情と言うことを離れて他に目的があるのではない、学問も事業も究極の目的は人情のためにするのである」
「学者よりも芸術家の方が実在の真相に達している。我々の見るもの聞くものの中に皆、我々の個性を含んでいる。同一の意識と言っても決して真に同一ではない」
〇精神と目覚め
「かく考えてみれば意志の発展完成は、直ちに自己の発展完成となるので、善とは自分の発展完成セルフリラクゼーションであると言うことができる。すなわち我々の精神が種々の能力を発揮し円満なる発達を遂げるのが最上の策である」
「真の目覚めは、個人の出来事では終わりません。個の中で起こり、無数の他者に広がるものです」
己の中にすでにあるものを見つめることです。
〇西田幾多郎の循環
愛とは、生けるものの本質をつかむ力です。たとえば、花の中には生けるもの、命があります。それを感じたときに、私たちは、花を愛し花に愛されていると感じます。交わりが生まれるわけです。花とは自然のことです。その声に応えさえすれば、そこに循環が生まれ、これを一致といいます。我がこととして感じることができるのです。
問いの深まりがあるだけで結論はない。その声に応えさえすれば、そこに循環が生まれます。
〇西田幾多郎の限界と無限
単に大いなるものを求めるだけでなく、同時に人間が人間の限界を知る出来事であるということです。さらに重要なのは、自らの限界から感じることが同時に無限を感じることであるという世界観です。