これまでも、今の日本を後期高齢者になりつつ支配する団塊の世代の功罪について
述べてきました。ここでもう一度、総括しておきます。
〇団塊の世代 誕生と思春期
日本は戦争に負け、軍国主義のヒエラルキーが取り除かれました。その結果、その子供たちにあたる団塊の世代は、上の世代を敵とみなし、学園闘争や労働運動で戦いを挑みました。前の世代の全て否定するようなことを試みました。人口が多いから大きな力として動いたのです。まあ、1968年あたりをピークとする世界同時多発の戦後世代の反発、運動のようなものでした。
〇団塊の世代 社会人中年に
会社に入り、20年ほど経ってみると、いつしれず自らが否定していたはずの社会的な権威となっていきました。熾烈な競争を勝ち残っていった同じ世代の中で結束力をもってまとまり、排他的な組織をつくるに至ったのです。下の世代には、三無主義、新人類などといって理解を示さず、自らの権益優先のもとに社会を動かしていったのです。上に媚び下に偉ぶる悪習を引き継いだのです。
〇団塊の世代 高齢者老後
その世代は、昭和の前世代と同じく必死になって働きもしました。人を出し抜き、金を稼ぎ、モノに溢れた快適な生活を手に入れようとあくせくしました。
その習性が抜けず、金と時間が余っても、ボランティア活動や労働奉仕による社会貢献などには目がいきません。お金やモノをあげると人は動くと勘違いしたままの人も少なくないのです。
もちろん、団塊の世代と一括りにできないし、こうしたステレオタイプの人たちばかりでありません。世代論の限界でもあります。ただ、一つの大きな流れとして捉えておくにはよいかと思われます。この世代、政治やビジネスで活躍した女性は、ほぼ男性化しているので、ほとんど、おじさん論とみていただいてよいと思います。つまり女性については触れておりません。
彼らにとって当たり前のことは、次の世代にとっては全く当たり前ではないのです。「意を汲んでやれよ」の意はなくなっているのです。そこで、ここのところ、いろんな事件や対立が起きているようにも思われます。
いや、事件や対立構造にするのは、その世代の特徴なので、多くの場合は、表に出ず、その結果、彼らの生き方が改まるチャンスにならなかったのです。
ですから、若い世代から、それをまっとうに正そうとする動きが出てきたのはとてもよいことです。時代は変わっていきます。「改めるのは、あなたたちです」と。
私は正面切って言えないのですけど、こういう私たちの寛容度といい加減さが、彼らをのさばらせてきたことに自責の念をもっています。「お前にそんなことが言えるのか」と自問すると、彼らの一味でもあったのです。
なんかいじめっ子の周辺で傍観してる人みたい、とほほ、。
(団塊論は、特別論点Vol.24「日本人と声とその行方~2018年、音楽業界から平成の総括とその先を読む」を参考に。)