fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

「モチベートがかからない」とか「やる気がでない」という質問をよく受けます。私は、人との出会いや映画、音楽、本などに救われてきました。なかでも、人のことばは、大きな意味をもちました。これからは、そういうことを思い返しながら、生きていくのに基礎となった一般教養や歴史、データなどのピースを散りばめていきます。ご興味があれば、そこからググってください。あなたがこの社会と結びつき、生きていくエネルギーとなるのに、少しでもお役立ちできたらうれしいです。[2021/08]

アートの世界で(2) 自由と限界 北斎と「神奈川沖浪裏」

アートの世界で生きていく一例を、大御所過ぎますが。

今年は「北斎づくし」が開催されました。生誕260年記念企画特別展で、六本木の東京ミッドタウンホールでした。また、映画「HOKUSAI」も公開されていました。

最近の日本の展覧会で、人気があって、入りにくいのは北斎若冲でしょうか。いつもどこかで開催されているような頻度ですね。

日本の絵画で、世界中で知られ、歴史に残っているのは、北斎の「神奈川沖浪裏」でしょう。あの時代、海や浜辺を描いた画家はいたと思いますが、波をクローズアップさせる、あの構図とは。北斎は一体、どういう世界を見ていたのでしょう。

2020年に刷新される日本国パスポートの中のデザインが北斎です。『ライフ』誌の特集「この千年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」(1999年)で、日本人で唯一ランクイン。

葛飾北斎、生まれたのは、今から約260年前、画号を変えること30回。引越しは93回。90歳で他界するまでに約3万点もの作品を描き続けました。

幼い頃から画才があり18歳で絵師になることを決意し、翌年、浮世絵師、勝川春章に入門、修業を始めます。画壇での地位も人気も収入も二流で、兄弟子にかなりのパワーハラスメントを受ける日々でした。「自分の画法が進歩したのは、実に春好が自分を辱めたことにはじまる」と語るほど。

破門され、琳派に加わり、三代目 俵屋宗理を襲名、他派の「狩野派」「堤等琳」「土佐風」や、司馬江漢に就いて勉強したのでまたも追放とか。その後は流派には属さず、画狂人北斎の号を用います。洋風の表現から中国の南蘋派の表現まで幅広く学んだようです。

パフォーマンス・アートも行ないます。弟子は約200人、絵手本や北斎漫画で対応します。富嶽三十六景」「富嶽百景」行楽ブームもあり、大ヒット。読本の挿絵、狂歌絵本、浮世絵、風景、花鳥、錦絵版画、名所絵、戯画、肉筆画、美人画など幅広い分野で名作を残します。春画では、緒方拳と田中裕子主演の映画「北斎漫画」で特撮された通称「蛸と海女」などがありましたね。

人気のわりにはお金がなく七味唐辛子売りなど副業をしたり、画号を度々売ったりします。生活は乱れ、料理は自分では作らず、食器一つなく、そのまま食べては、ゴミを放置。酒、煙草はたしなまなかったものの金銭に無頓着で、貯えもなかった。人に会ってもそっけなく、知人や注文主ともトラブル続き。衣服にも不自由し、年中、袖無し半天で通していたようです。永眠。数え90歳でした。

 

北斎は、富嶽百景の跋文で、こう述べています。

「己 六才より物の形状を写の癖ありて 半百の此より数々画図を顕すといえども

七十年前画く所は実に取るに足るものなし

七十三才にして稍(やや)禽獣虫魚の骨格草木の出生を悟し得たり

故に八十六才にしては益々進み 九十才にして猶(なお)其(その)奥意を極め

一百歳にして正に神妙ならんか 百有十歳にしては一点一格にして生るがごとくならん

願わくは長寿の君子 予言の妄ならざるを見たまふべし」、

葛飾北斎伝では、

「翁 死に臨み大息し 天我をして十年の命を長らわしめば といい暫くして更に言いて曰く、

天我をして五年の命を保たしめば 真正の画工となるを得べし と言吃りて死す」

 

 

さて、何でも自由に好きにやってもよいとなると、その方が限界も早くくるのです。

その先の、独創を考えれば、基本を固め、古典を学び、習作し続けなければいけないのです。

商品として売るには、客に価値を理解させ購入に結びつけるために、客観的評価を必要とします。科学的にとかデータとか、その根拠についても考え尽くすのです。

とはいえ、一流のアーティストはそんなものをモノともしません。一目で人が心を動かすような何かを作品として示すのです。

アーティストには、自分の不幸、不遇を売り物にしていた人もいます。自分のなら構いません。何事もあきらめた人、動かない人が、悪口を言うのです。それに引きずり込まれないように気をつけましょう。

自分の人生を超えたところに、永遠である作品が誕生します。現実を超えることです。世間を超えることです。他人の言うことなど気にしないことです。己の心、それさえも超えるものをつかんで、示すのです。過去に戻らないことです。進むのは、見つめるのは、未来です。