メディアはニュースを売り物にするから、これまでと違うような出し方をします。今までと同じことが繰り返されても、繰り返したようには使わないのです。新しいフレーズやスローガンを挙げて、新しいことが起こりそうな、新しいことが起こったようにして、視聴者、読者の興味を引きつけるのです。それは、YouTubeなど、アクセス数を稼ごうとする人の手法を見るとよくわかります。そして、票を稼ぐとき、政治も同じようになります。表層的に動いてしまうのです。
政治や報道に関わる人たちがどうも無能になってきたように思えてなりません。昔の大人に比べて、です。確かに情報化社会になり、いろいろと複雑に難しくなった点はありますが。表層的に動いた後に、本質的なところに戻さないのです。
公共に関わる人たちが明らかにおかしなことをやって、隠すこともできないで最悪の結果を招くという無能のアピールを繰り返しています。見えないところにあるべきことさえ、わかってくるほどです。それを隠そうと嘘をついたり不正を犯し、隠せなければ開き直ってスルーする、寛容なマスコミや国民は、こうして、咎めないから、さらに恥の上塗りを重ねる、それを見続けるのは、なかなかに耐え難いことです。
でも、なんとか関心を持ち、何よりも行動しなくては、と、ブログにも加えることにしました。まわりの人としゃべっているくらいのことに過ぎませんが、記録し貯めていくと、また見えてくるものがあると思うからです。どうか読みといてくださいね。
日本の世界に占めるGDPは、1994年、17.9%、2000年14%、2020年6%となりました。
同じ時代を生きてきた人たちですから、無能ではない、いや、競争社会に勝ち残っていった有能な人が多くいるのに、なぜこうなったのか、できなくしているのが何なのかは、案外とはっきりしてきていています。それをもう受け流すのでなく打破しなくてはいけない段階です。
ところが、それができない人たちが、そういった地位についてしまったのです。これまで優秀であって競争社会に勝ち残ったゆえに、その価値観や考え方、やり方が改められないのです。そこが今の日本の最大の弱点になっていることを考えてほしいと願うのです。
今でこそ、黒澤明監督の不朽の名作「生きる」を思い出すときです。市民課長役の志村喬は当時47歳だったとは、。その癌をコロナと思って、真に生きる、生き直すことです。ゴンドラの唄、聞こえますか。