トリアージの例として、よく使われるのは、トロッコ問題です。暴走するトロッコ、そのまま放っておくと、レール上に犠牲者5人、その前のポイントでレールを切り替えると犠牲者1人、あなたなら、どちらを選ぶのかということです。
日本人は、乗客より歩行者を優先するそうです。「より多くの人数」「高齢者より子供」を選ぶことについては、他国の人より優先度が低いそうです。
思うに、自分で判断した責任を負いたくないから、運命と思って、そのままにするのではないでしょうか。
かつては、出産も命懸けでしたから、母と子の命に優先順をつけることも珍しくなかったことでしょう。主君一人を守るために何十人も死んだ例もあるでしょう。命に優先順位などはないといえばそれまでですが、現実に非常事態は起こります。順位をつけなくては、被害が最大になりかねません。被害を最小にするために、限られたなかで、苦慮の決断をするのであり、そうしなくてはならないのです。また、そうできるように、日頃の訓練、思考も必要なのです。
アメリカの軍隊は、一人の捕虜を助けるために全力を尽くします。身分問わず、一人を助けるために何人もの犠牲を払うこともあります。そのあたりは旧日本軍と違い、合理的です。自分が犠牲になったとき、仲間が助けにくると信じられるからこそ、命懸けで戦えるいう論理であり、倫理です。
かつて、日本人は、非常時を想定しないため、兵士や庶民の命を軽視しました。非常事態では、全く相互信頼はなく、司令部からは、人間以下の扱い、無関心、対応しないとされたのでしょう。日本兵捕虜は、尋問でなんでもペラペラ喋ったそうです。日本人は誰一人捕虜にならないと前提を疑えない頭の硬さには、絶望しかありません。
この度、アメリカは、アフガニスタンから撤退しました。ベトナムもフランスの後を受けて20年くらいで退きました。日本以外、ほぼ統治は失敗となると、どうも日本人として、今も続く、この戦後体制は、決して誇れることではないことが改めてわかります。
ベトナムとアフガニスタンの間では、たとえば、ソマリア内戦への介入、これは、映画「ブラックホークダウン」で描かれています。ヘリコプターが撃墜されての救出、、この作戦で、アメリカ人19人犠牲、ソマリア人千人以上とか、でした。