明治22年、言文一致体で「あいびき」「めぐりあひ」を二葉亭四迷が出します。
江守徹のことばを引用します。
「このインタビューで江守(徹)氏は、『ハムレット』の有名な第四独白が終わったあとの、Nymph, in thy orisons. Be all my sins remembered.という台詞をいきなりそらんじてみせ、『子音で消え入るように終わる語尾がきれいでしょう。でも、日本語にはみんな母音がくっついているから、この音じたいは訳文では再現できないんです』と、さらりと言った。」(中略)
「『子音は、声帯を使わないでしょう。nymphという英語を口にするとき、声帯は一回しか震えない。でも『妖精』と言おうが『ニンフ』とカナ読みしようが、日本語はどの音にも母音がついてくるので、数回は声帯を震わせることになる。芝居は人の体を使って表現するものだから、おなじ台詞でも、声帯―これも肉体の一部ですが―の震える回数がそんなに違っては、演劇的な表現として等しいものになりうるかという疑問は出てきます』」
「声という物理的なものを追究していけば、当然ながら、演じる役者の肉体的な違いが、翻訳するさいの難問になる」
「日本人は西洋人とは身体の構造が異なり、足が短くて胴が長い、顔の筋肉が動かない、声の出し方が違う。と、(島村)抱月は差異を淡々と列挙する。帽子をどうかぶるとか、椅子にどう掛けるかという『外形的なこと』はまねできても、『少し強き表情』などの微妙な表情になると難しかったと言う。試行錯誤のすえ、『外国的に胸を動か』すジェスチャー(胸を突き出し気味にしてイヤイヤをするように波打たせるような仕草だろうか)に、手を振り絞る動作を補って、いくらか日本人の心持ちを表現したのだとか。」
「樹木(希林)の演じるおばあさんが、ジュリー(沢田研二)の熱烈なファンという設定で、毎回彼のポスターの前で、まさしく『外国人』がやるように胸を波打たせながら両手を交互に前後に振って、『ジュ~リ~!』と身もだえするのが名物だった。」と、余談にあります。(以上、「明治大正 翻訳ワンダーランド」鴻巣友季子)