fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

「モチベートがかからない」とか「やる気がでない」という質問をよく受けます。私は、人との出会いや映画、音楽、本などに救われてきました。なかでも、人のことばは、大きな意味をもちました。これからは、そういうことを思い返しながら、生きていくのに基礎となった一般教養や歴史、データなどのピースを散りばめていきます。ご興味があれば、そこからググってください。あなたがこの社会と結びつき、生きていくエネルギーとなるのに、少しでもお役立ちできたらうれしいです。[2021/08]

過剰反応 2016/05/15

 保育園の子供声がうるさいというクレーム、学習帳の表紙の昆虫の写真掲載中止要望(すでに処理済)など、自分に不快、慣れていないものは、すぐに排除したい、そして、排除できるという発想とその権利の要求、いや、それにすぐ応じる人たちの事なかれ主義が気になります。

現実の厳しさを突きつけるものを排除する、それを受け手の気持ちで主張するのは、無視できないことでもありますが、一方で、個々の表現のあり方や許容範囲、そのポリシーや責任に関係してくることなのです。

しぜんや動物、他人など、何でも自分の思うままにならないものなのに、そういう寛容性と想像力、それらが失われるのは、人として弱くなっているからだと思うのです。

今や、子供を補欠選手にするなとか、男子の運動部に女子のマネジャーをつけるのは差別だとか、そういうことをまるで公民権運動のようなつもりで声を挙げる人がいるのです。

運動会で順位をつけるなとか、学芸会は全員主役でせりふの数も揃えるとか、笑い話になっていることを実行してしまえる、その延長上に、どんな社会がくるのでしょうか。

本人が望み、選んだ場を他人が本人の代わりにと勝手に否定することが広がるとどうなるのでしょう。ミスコンに反対していたウーマンリブ運動を思い出します。

すべて近視眼的にみているわけです。人生の長さが延びたというのに、これからの人にまで何でも干渉したがる意識が問題です。時間もエネルギーもあるけど、打たれ弱い人たちの増殖。

年明け早々の、ベッキー文枝乙武の不倫騒動、SMAPの解散騒動、清原氏のドラックに巨人軍にバドミントンの選手の賭博と。日本のメディアと世間のさらなる閉鎖性と偏向、再起のチャンスも与えない、なりふりかまわない保身と対処、どんどん長いものに巻かれるの風潮が強まっていませんか。