きちんとするには、きちんとしていることを知って、きちんと実感する人になることからです。何も知らないで実践しない人もいますが、大多数は、知っていながら実践しない人、できない人です。それでいて、人にきちんとしてもらわないと嫌で、きちんとしていない人を許せない、でも、自分できちんとできないのです。
この「きちんとする」は、同じこととは限りません。人によって「きちんと」ということは違うからです。人により、正しいとか、尊敬、尊重されることにも、いろんな価値観があります。
よき家庭人として、家が居心地よくなると、よき社会人として職場が居心地よくなると、鈍感になりやすいとも思います。職場でも同じです。
社会的な評価を得て、属する集団、場への誇りをもつ、それはよいことです。しかし、その誇りや愛から差別が生じていくことが多いのです。みんな一緒という絆を望むことが、そうでない人を殺してしまうパターンを、嫌というくらい、目にしてきました。安定、安全、安心、恐るべしです。