fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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論議の劣化 2016/03/15

 昔なら、何か言ったら反論されたのです。年長者、先生や先輩には、威厳と説得力がありました。今は、よほど異なる意見以外なら「いいね」、違ってもスルーされるのかと思います。
 団塊の世代の残した形だけ整えた論争、つまり、相手が何を言っても結論が変わらないケンカも、今は、褒め殺しやもちあげての皮肉のやり取りとわかりつつ、表向きになあなあに済ませるようになっています。大体、長くなると同じところをくり返すだけです。つまり、かみ合わせずに、言葉の揚げ足とりになるわけです。大人がそんな下手な論争しかできなかったから、もう日本の若い人は、ことばを信用しなくなってきたのかと思います。
 特に今は、何でも公開され、保存されてしまうので、言質をとられるのを恐れるのです。一つのフレーズが一人歩きして、前後の文脈も状況も踏まえずに使われてしまう、そして、好き勝手に言われることになるのでしょう。捨てぜりふで終わらせることさえできなくなったわけです。劣化した日本のマスコミの手法が日本人に浸透し、誰もが使うようになったのです。
 若い人は、ことばの力を信じず、ことばの生み出す力を経験してきていないのです。だから、ネットなどでも何かすべきことがある人から見切りをつけ、去ります。そうでない人が延々と時間をかけるのですから、偏って劣化していくのは言うまでもありません。まさに、「小人閑居して悪をなす」です。