不満、嫌悪、軽蔑を感じると、人は、周りのものにあたったり、他人を差別したくなります。それは、個人的感情と知りつつ、大半は、他の誰かと同じように、という欲をもつものです。つまり、他人に動かされているのです。もちろん、それで引っ張られて、よい方向へのエネルギーになっているならよいのです。
今の若い人は、「不快を感じてもスルーして、そう感じていないように対応する」のが大人と思って育っています。そのために、周りに不快に感じられたくないと、そこにとても敏感になりました。これは、周りの人とは関係ないということではありません。むしろ、それによって動かされているといえます。
現実には、多くの差があるのに平等に振舞わなくてはいけないという嘘があります。
いじめは、誰かをスケープゴートにしたてることで、差のある誰かとそれ以外のもののフェアという両立を得る手段となっているから、なくならないのです。自分や誰かの身やを守りたくて行動することが、すでに誰かへの加害者となっているのです。