fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

競う 2015/08/30

 生存の戦い一つ考えても、素手、取っ組み合い、刀剣、鉄砲、砲撃、ロケット…と。武器の進化とともに変わります。外目には大きくなったものの、人の身体のすべきことは小さくなりました。遊びでも、ぶつかり合って体を鍛えていたものから、今やゲーム、動体視力と指先の運動神経という、ちまちましたものになりました。
 今の戦闘は、二極化しています。一方は、電子化された能力で行われ、無人化されたロボットが人を殺すのです。もう一方で、ゲリラ戦、近未来ものの映画で世界崩壊後のように、そのへんの鉄パイプや銃で殺し合う。この間に、すさまじいギャップがあるのに、それは一瞬のうちに切り替わるのです。電気がストップしたら、一瞬でプリミティブな戦闘形態になるのです。それは、震災で学べたことです。日本よりは他国の方が分かりやすいですが。
 ゲームでの戦いも、それを人間が扱ううちは、目と指での身体能力でしたが、そこもやがてAIになるでしょう。歌手のヴォーカロイド化は、声優の世界へも入っていくでしょう。役者もCG、アニメ、その他、代用されていきます。
 一方で、プリミティブな形態でルールを限定しての人間の生身の戦いも残っていくはずです。スポーツ、オリンピック競技など、人間の能力に限定した競技になりつつあります。いつかパラリンピックの方が記録もすごいという日が来るでしょう。囲碁や将棋もAIの方が強いから、人間だけで競うという形で残るのかもしれません。
 先日、ある会合で「今の世の中、戦争など起きるはずがない」と断定した人がいました。この10年をみるだけでも、戦闘による殺戮は、どれだけあったというのでしょう。ある地域にいきなり侵略が企てられ、一瞬で事は起きてしまうのです。電気が切られ銃が火を吹く、あるいは、爆撃で停電となるのです。