一流のアーティストは、偉大なほどに稼いでいます。
フジコ・ヘミングさんなんかも、軽井沢で絵を高価にけっこうな数を売っています。
こういうことと、商業芸術、コマーシャリズムの功罪は、一言では語れません。
どちらにしても、自分の世界に浸りつつ、アウトプットして、他人のために与えないと、
アートにも、ビジネスにもならないし、アーティストになりません。
客のためにつくっているなら、作品も商品なのです。
(故)久保田一竹さんは記念館をつくり、着物を展示して入館料を得ています。
売って着られるのと、皆で見られるのと、どちらがよいのかは比べられません。
ビートたけしさんは、「情報過多」がアートの表現の障害とまで言います。
「モノを大量にあてがわれて活かされているのは、奴隷だと。」
私はオタクの第一世代ですが、戦後世代のはまったアメリカン・ポップな感じを
嫌うマニアックさをもっています。
歌は、街で絵を売るように売りたいと思います。