天上より地平線では、大気が厚くなり、青色が散らされ、より赤くなるらしい。そのため、地平線寄りの太陽や月は、大きく見えるそうです。
2002年からのゆとり教育で、公立のレベルダウン。若い起業家は、ホリエモン叩きで懲りてか、メディアでアピールしない。なぜアメリカでは、エリートは自分の会社を作るのに、日本では、雇われることしか考えないのでしょうか。
事業主は働いたからといって、それに応じて収入になるものではないし、今や働くほどに赤字にもなる。社長といっても、自営業の中には、農業や漁師も、じいさん、ばあさんも、商店街の店主も入っています。
失敗を糧にして成長できるのが、私などはプロデュース、つまり、マネジメントしようと思った動機ですが、リアルに世の中を感じたかったわけです。雇用したのに取り消す会社も会社だが、その会社に無理に入っても先はなかったのだから、悪いとも思えない。
マンナンライフのこんにゃくは、ストップだったのに、モチは農家だからでしょうか。何ら規制しない。振込サギへの銀行や警察の過剰な注意呼びかけも、自立を防ぐと思えてくるが、老人は守るべきですし。世の中、さらに複雑になりゆく。
改正建築基準法、改正賃金業法、金融商品取引法も、改正と正をつけるなど、とんでもない。ルールの作れない国の官僚のコンプライアンス不況でしょう。埋蔵金って、冗談でなかったとは。さらに三つの改悪。
「地デジ」、ヨーロッパでは、まだ白黒で見ている人もいる。せめて一世代は待つべきでしょう。「タスポ」では、万引き誘発、裁判員制度で断りを申し出た人が相当いたというが、誰も縁のなかった人に、くじで関わり、復讐されたくない。重罪を犯してもない人に、残酷なものをみせるのも、日本人はもう公開処刑などにずっと慣れていないし、少なくともそれを楽しむ感覚は、他国ほどではない。
「後期高齢者医療制度」は、やり直す度に手間と人手がいる。わざとそうして手当や仕事を回していると勘ぐりたくなる。政治家の発言の「メモ合わせ」しないと「出入り禁止」となるマスコミに、自立した取材活動などは存在しない。肝心な論争も、問題の所在も報じていない。日本には論争がない、自己批判もないし、ルールや制度自体も変えられない。