欲を願いにしましょう。私は神社では、まわりの人が幸せになるようにと祈ります。格好つけてではありません。このように書くだけで、充分に恥ずかしいことですから。私自身は、どうなってもよいというか、神に助けてもらえるほどの者とは思っていないのと、充分に助けてもらっているからです。神はフェアだという想いがあって、変ですが、信じていないのに根本的に認めているのですね。
そして、私自身に過大に恵んでくれたら、私のためによくないとわかっているのですね。つまり、私なりのバランス感覚といえます。自分を見失わずにこれたのも、そのためかと思います。バランス感覚とフェアな精神は、なかなか持っている人はいません。皆、過分にとりたがりますが、そうしたとき、どこかで奪われているのですね。