fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

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自滅党

 日本の“奇跡の復興”は、まさに焦土といわれた何もないところから、人々が知恵を体力と気力だけで、世界第二の経済大国になった。これは1945年から1970年くらいまでの、わずか25年で、成されたものであり、戦争で敗れたとはいえ、世界に誇る日本の頭脳とシステムのすばらしさであった。そう考えると、今、それを体験した、70歳以上の人にもっと学ぶべきに思う。

 それは、1000年以上の歴史に支えられたDNAといわずまでも、風土や教育の賜物であったし、江戸時代とて、すでに世界トップの座だったのです。
 なのに、今やその国のトップをめぐる総裁選で、まさに恥知らずな売名候補たち。誰がなっても、その資質もなく、政局も変えられず、自滅するなかで、「皆でやればうまくいかずとも仕方ない」との無駄時間と、無駄金づかいをまた眼にしなくてはならない。

 私は日本に大統領選を入れるのは大反対だし、知事の選ばれ方をみても、日本人の選挙たるや、まともでないから、その意思は変わってはいない。しかし、やりたいけど途中で投げ出し、責任をとらないのは、後世にもよくない。アメリカのように、あれだけ叩かれても、耐えて耐えてすべきことを明確にする試練はあってよい。(といっても、オバマ氏の政策は、自民党の一部や民主党と同じく、時代に逆行しているのだが・・・)

 50年前のことを考えるに、日本人は自分はどうであれ、まわりの人や将来の子孫のために、休みもなく働いた。そして、世界一豊かな国の一つになり、アメリカの暴落を食い止め、他の国の援助発展までしていたのに、リーダー教育をないがしろにしたために、こんな国になってしまった。
 私は今、土門拳の『風貌』という写真集の中の顔をみている。かつての日本人のリーダーを写した写真であり、そこにある威厳や人間としての生き様の現れた顔を今、捜そうとすると、田中角栄あたりまで戻るしかない。まさに、1972年ってところじゃないか。

 考えようによっては、文化も音楽も人もそのあたりで止まってしまった気がする。1970年当時、うちの父や母も含め、日本人は世界のどの国民より働いていた。よりよい明日のために働いていた。20歳で、社会のための歯車となった。それは、不幸なことだったのだろうか。今も70代の人は、家のまわりを毎朝掃いている。
 誰もが楽を求める。でも、本当に人生を楽しんでいるのは、つい最近であれば、北京オリンピックでの北島選手のような人であるまいか。

 私は三十代までは、社会で学んでいくうちに、世の中の愚かさに気づくようになっていったと思っていたが、今は、違う。誰にでもわかるように、世の中が愚かになって、気づかないことができなくなっただけ。スポーツ新聞しか読まなくても、誰でもわかる。
 私が若い人にアドバイスすることは、ここ20年、同じようなことである。自分と今だけをみるな。まわりを、それも知り合いなどではない、ずっと遠い国々を、そして明日ではなく、遠い未来、30年後、100年後を想像して、そのために生きるようにということだ。

 今日、自分や家族が食べるパンも大切だが、遠い国や将来を考えたら、生きているだけを食べて、あとは我慢しようではないかということである。もっとたくさん、もっと楽に、もっともっとが、何をもたらしてきたか、今も何をもたらすか。アメリカを中心としたこの”もっと帝国”に、終わりを打つには、まず、自らがそうしなくてはいけないと思うのだ。