fukugen(福言):出会い気づき変わるためのヒント

表現、創作、スピーチ、雑談のネタの欲しい人、今の自分と社会・世界を結びつけたい人、考えを深めたい人に

「受け継ぐ」

 日本のトップクラスの頭脳が生み出した考えは、まんが以上の喜劇の産物であり、現実にはそれが悲劇であるというものだった。まじめに皆、人を殺すこと、相手国家をそこの人を殺すこと、自国の国民まで殺すことをまじめに考え、涙を流してまじめに実行したのだ。
 死に損なう、軍神、貧しさからの脱却、生きていくために、まわりを生かすために自らを滅ぼすというのは、まったく先日の私の文章※そのまま、逆にしたものとなる。結局、思想なんてそんなものだ。

 何のために死ぬのか―、それは死によって何かを伝えるためでしかない。しかし、伝えても、伝えたことを受け取る人がいなければ、そこで途絶える。少なくとも、伝えようとして生きようとするなら、まず、受け取ることからであろう。生きることは、死ぬことから始まる。

 世界中旅すると、けっこう戦地や戦いのあとの記念館が残されており、私もずいぶんと訪ねた。えいえいと続いている命を今、私たちは、この21世紀で受け継いでいることを、今一度、考えておくことである。
 この映画は、海の特攻隊、回天の悲劇をテーマにした。中島みゆきっぽい本題歌「返信」は、竹内まりやの曲、歌唱もだった。(「出口のない海」を見た日)

※(前略)
たとえば、自分の働くところを貶めて、自らの価値を自ら崩すような人が少なくない。
また自分の実力を過大に評価して、自分勝手に不当な要求をし、それが受け入れられないとやめていく人も少なくない。一時の損得で動くから、本当に得にもならず、結局、損するばかりなのだ。それで仕事そのものまで失ってしまう人もいる。悪いところを直したり、補ったり、変えたり、よりよくするために自分が、そこで仕事する意味があると考えられないのだろうか。

それを、たった一人でもコツコツとやり遂げ、全体をも変えていこうとするところに、価値が生じてくる。その価値を生み出しつづけるところに、信用が生まれる。そして、信用なくして、評価されることはないのです。それには、けっこうな年月がかかるものです。1、2年で測れるものではないのです。

結局のところ、人生とは、奉仕して生きて生かされるところにあるのでしょう。
犠牲といって、人のために死ぬのは、もっとも尊い生き方と思うが、
そういうことは、簡単にできないから尊敬されるし、誰もがやらないから、価値がある。
ともあれ、自分の悩みの解決に挑みつつあるのが、人生なのです。

自分のことしか考えなくなるのは、種としての死であり、自分の死となる。
種のために自分を生き、自分を生かす。
それは自分を殺しても、他人を生かすことにより、自分を生かすことになるということなのです。
<※会報9月号「巻頭言」より>